「砂漠でオアシスを発見したような喜び」

ヨハン・フレデリック・ファン・デル・フックさんから釜石市長宛ての手紙を知ったときの心境を、祖父はこう書いています。

「私にとっては天上からの福音のように有難いニュースだった……戦後の社会は敵も味方も分からないようになっていた。真実は覆われたまま数十年も過ぎていた。そういう時に『釜石での取り扱いは良かった』という声がオランダの捕虜だった人から聞かれたのだから、私にとっては砂漠でオアシスを発見したような喜びだった

1976年12月に祖父が初めてフックさんに手紙を書くと、フックさんから返事が来ました。「私は、あなたをもの静かで捕虜たちにも良い将校だったと覚えています。私は民間航空局の通信部長を務めて定年退職しました。たびたび釜石のことを思い出し、そこの人たちや製鉄所で働いたことを思い出します。それは怒りの心ではなく、より深い心での思いです」

-AD-

フックさんと祖父の文通はその後、祖父が1988年に71歳で他界するまで12年間続きました。その間、フックさんから、1944年のクリスマスに収容所で撮影された捕虜たちの集合写真が送られてきたこともありました。祖父が中央にあぐらをかいて座っているその写真の裏面には、フックさんの筆跡で「人情味ある所長であった稲木さんへ敬意をもって」とあり、皆の顔に穏やかな微笑が浮かんでいます。

読みながら私は、祖母の家に飾ってある木靴の人形や帆船の置物を思い浮かべました。小さい頃、オランダ風のおもちゃを友達にあげてしまって、両親にひどく怒られたことも思い出しました。思えばそれらは全て、フックさんから祖父に贈られた「友情の証」でした。

フックさんの息子・ポールさんの自宅には、かつて稲木さんから贈られた日本人形が今も飾られている 写真提供/小暮聡子

明け方まで夢中で読みふけった『フックさんからの手紙』は、戦時中の収容所内での人間模様も描いており、所長と捕虜の間で人としての交流が少なからずあったことを示唆するものでした。1944年夏、祖父が200人近くの捕虜を連れて釜石市の白浜に海水浴に行き、帰り道では捕虜たちが口笛でマーチの合唱をした話や、祖父がオランダ人の軍医に虫歯を抜いてもらったことなども書かれていました。フックさんからの手紙が、「戦犯」というレッテルに納得できないまま戦後を過ごした祖父の心を救ってくれたのだという話は、17歳の私にとっては初めて触れた「本当の話」のようにも思われ、心を大きく揺さぶられました。