「平凡な生活」の大切さを思う

ゆっくり何かを考える間もなく、日々ヘトヘトに疲れながらも、久しぶりの日本は夫を思い出させ、寂しい瞬間にも何度か襲われた。
アメリカで夫と過ごした期間は1年足らず。しかし日本では8年一緒に暮らしていた。結婚前から入れれば10年分の思い出が、この日本にはあった。

イタリアに留学していた頃の陽一さん。イタリアでも美味しいものを食べに行くのをこよなく楽しみにしていた 写真提供/杉山晴美
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ふたりでよく行ったラーメン屋さん。わたしたち夫婦は大のラーメンフリークで、自宅には何冊もラーメン屋のリサーチ本があった。そんな本をみながら、ふたりで新しいラーメン屋さんを開拓して歩いたものだ。ここは当たりだの、はずれだの言いながら、お気に入りのラーメン屋さんを見つけていた。

子供が産まれてからは、昔ほどあちこちには行けなかったものの、それでも今度は子連れでも行けそうなラーメン屋さんを探し、親子でぞろぞろ食べに行ったりもした。ささやかな我が家の幸せだった。けれど、もうそれもできない。

テレビをつけても思い出す。夫が好きな芸能人、夫が好きなテレビ番組。ああ、この番組まだやっていたんだ。そんなものを目にするにつけ、思い出すのである。

難しい話をしたいとか、悩みを打ち明けたいとか、なにかから助けて欲しいとか、そんなややこしいことではなく、美味しいラーメンのことやテレビ番組や、そんなたわいない会話を持ちたくなる。日本に帰るとますます。

わたしは日本で、夫と共に平凡な暮らしをしていたのだ。その平凡な暮らしがあの日、奪われてしまったのだなと、日本に戻ってあらためて実感した。日本での暮らしは、アメリカでの暮らし以上に、本当に平凡なものだったのだ。いま、もう一度思い知らされる。夫と作ってきた「平凡な家庭」の大切さ。のんきでいられた幸せ。

同じものはもう作れはしない。けれど、わたしなりにあの頃あの思い出を大切に、今度は3人の子供たちとともに、のんきで幸せな家庭をゆっくりと築き上げていこう。奪われたのなら取り戻してみせよう。ひとつずつ、ひとつずつ。あせらずに積み上げてみよう。日常を。