夫が、お父さんが、事件に巻きこまれた現場に行くこと。それは簡単なことではないだろう。2001年9月11日のアメリカ同時多発テロで犠牲になった杉山陽一さんの妻・晴美さんは、当時お腹にいた第三子を半年後の2002年3月11日に出産した。そしてその直後、陽一さんの遺体の一部が発見。VISITATIONというお別れの会も開催した。
いよいよ子供たち3人と帰国が迫った時、晴美さんが決断したのは、「子供たちと現場に行く」ことだった。

家族4人で渡米したときの杉山ファミリー。それから2年弱。ひとり家族が増えたけれど、4人で帰国することになってしまった 写真提供/杉山晴美

晴美さん連載「あの日から20年」、14回目の前編では、帰国前日と当日のことをお届けする。

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グラウンドゼロに隣接したビルの20階へ

【7月30日】
明日にはアメリカを去る。今日は複雑な思いの残るマンハッタンで1日を過ごした。
この日、同じ富士銀行で被害にあわれた方の夫人とそのお嬢さんが、旅行でマンハッタンを訪れていたため、一緒にホテルで朝食をとることになった。

まだアメリカに残られている夫人2名と、会社の被害者サポートチームの方たちも見えた。今回の被害者の夫人たちとは、アメリカでも何かあるごとに集まってきた。悲しい縁ではあったが、ほかのご夫人方の存在は、わたしにとっても本当に大きいものであった。感謝の意に堪えないものがある。今回12名もの邦人行員の方々が被害に遭われ、それは大変不幸なことではあった。しかし、残された妻としては、同じ立場で同じ悲しみを共有している方がそばにいてくれたことは、本当に心強かった。

そしてそれと同時に、去年の9月から今日まで、なんとか不慣れな異国の地で、また特異な状況にありながら無事過ごせてきたのは、会社のサポートチームの方たちの力添えがあったからこそであった。言葉に言い尽くせないほど、本当にお世話になった。アメリカでの複雑な手続きを代行してくださったり、他にも、わかりづらいことがあった時は、常に相談にのって下さっていた。

子供たちを含め、心のケアなどきめ細やかな心配りを絶えずして下さっていた。仕事の域を超えて接してくださったご恩は、一生忘れ得ぬものである。アメリカを去るにあたり、ここでもう一度深い感謝の気持ちになった。

朝食が済んだ後、そのサポートチームの方に付き添われ、旅行中のご家族とともにファミリーセンターと呼ばれるところを訪れた。そこはグラウンドゼロ(ワールド・トレード・センター跡)に隣接するビルの20階にある1室で、今回の被害者家族のために設けられたものだ。

壁には、被害に遭った家族の写真やメッセージがびっしりと貼られ、床やテーブルには、家族にあてた思い出の品やぬいぐるみやお花が、これまた所狭しと置かれていた。部屋の隅には、小さな子供たちのためのプレイスペースもあった。色とりどりのマットの上にはおもちゃが置いてあった。歩行器のようなものもある。

グラウンドゼロは2002年1月から行方不明者や遺品の捜索と同時に、クリーンナップ作業も進められていた Photo by Getty Images
2002年7月末、グラウンドゼロ近くの壁にある多くの人のメッセージ Photo by Getty Images

こういいったものが用意されているということは、これらを使う子供たちがここを訪れるということだろう。数多くの幼い子供たちが、愛する家族を失った……そんな悲惨さが伝わってくるようだった。