2021.08.15
# 戦争

【戦争秘話】「徹底抗戦論」はアメリカに向けた和平を促すためのメッセージだった

大西瀧治郎中将の遺書・後編

国民に戦争終結を告げる天皇の「玉音」が放送された翌日、昭和20(1945)年8月16日未明、ひとりの海軍の将官が割腹し、自決をとげた。

昭和19(1944)年10月、フィリピン・レイテ島に進攻してきた米軍の大部隊に対し初めて特攻出撃を命じ、「特攻の父」とも呼ばれる大西瀧治郎中将である。大西はその後、軍令部次長となり、最後まで徹底抗戦を叫び続けたが、遺された遺書には、軽挙を戒め、特攻隊員と遺族に謝罪し、青壮年に後事を託し、世界平和を願う言葉が綴られていた。「徹底抗戦」と「世界平和」のはざまに秘められたその真意を読み解く。

<【前編】“徹底抗戦”を主張し続け、「特攻の父」と呼ばれた男の意外過ぎる真意>

 

遺書を読み解く

大西の遺書には、いくつかのポイントがある、と門司は考える。この遺書は、三段階に構成されていて、前段は、

〈特攻隊の英霊に曰す 善く戦ひたり深謝す 最後の勝利を信じつゝ肉彈として散華せり然れ共其の信念は遂に達成し得ざるに至れり 吾死を以て旧部下の英霊とその遺族に謝せんとす〉

と、特攻隊員の英霊と、その遺族に対する謝罪である。

「これは、大西中将としてはなによりも先に言いたいことであったと思います。長官の胸のなかには、手を握って送り出した、多くの特攻隊員の掌のぬくもりが消えずに残っていたに違いありません」

と、門司は解説する。遺書の中段は、

〈次に一般青壮年に告ぐ 我が死にして軽挙は利敵行為なるを思ひ 聖旨に副ひ奉り自重忍苦するの誡ともならば幸なり〉

と、一般青壮年に対して軽挙、つまりこれ以上の抗戦は敵を利する、逆にいえばわが国を不利にすることになるから、終戦の聖旨にそって抗戦はやめ、自重忍苦せよと呼びかけている。ふたたび門司の解説。

「徹底抗戦を先頭きって叫んできたけども、自分は責任をとって自決するから、もう矛を収めよう、ということですね。終戦の日まで、戦争継続を主張してきた人の言葉としては不思議に感じられると思います。それと、『軽挙はつつしめ』というのは、要するに特攻隊の責任は司令長官にあり、中間管理職である司令や飛行長などは、責任を感じて自決などしてはならぬ、ということでもあります。『青壮年に告ぐ』と、青年だけでなくわざわざ『壮年』にも呼びかけているのは、その表われでしょう」

そして遺書の後段は、もはや戦争のことではなく、敗戦後の心構えについてを、若い世代に語りかける形になり、

〈隠忍するとも日本人たるの衿持を失ふ勿れ 諸子は國の寶なり 平時に處し猶ほ克く 特攻精神を堅持し 日本民族の福祉と世界人類の和平の為 最善を盡せよ
   海軍中将大西瀧治郎〉
(衿持-正しくは「矜持」-の誤字ママ)

と、締めくくられている。

これについて門司は、

「臥薪嘗胆とか、仇を討て、ではなく、隠忍するとも日本人の矜持を失うことなく、自己犠牲のあらわれである特攻精神を平時において発揮し、世界と日本の福祉と和平のために尽くせという戒めと期待が書かれています。

当時は台湾も朝鮮も日本の国土であったわけで、『大和民族』という狭い意味の言葉でなしに『日本人』『日本民族』というやや広い意味の言葉を選んでいることもあわせて、自決直前の遺書としてはまことに冷静で、心配りが行き届いていると思います。

以上を整理すると、戦死した英霊や遺族に対する謝罪、聖旨がもう決まったのだから、敵を利する抗戦はやめよう、そして、将来は、日本人としての矜持を失わず、自己犠牲の精神をもって、世界と日本の和平のために尽くしてくれ――ということですから、いわば終戦にあたって、日本が直面した三つの大切な事柄を、的確に表徴しているように思えます」

と、解釈している。

大西瀧治郎中将(右)と副官・門司親徳主計大尉。昭和20年5月13日、台湾にて。大西の軍令部次長への転出を控えて撮影された一枚。

確かに、〈平時に處し猶ほ克く特攻精神を堅持し 日本民族の福祉と世界人類の和平の為 最善を盡せよ〉というのは、本心から徹底抗戦を叫んでいた人物の言葉としてはあまりにも不自然である。少なくとも、凶気のなかから出てくる言葉ではない。

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