東京五輪が閉幕した。24日にはパラリンピックが開幕となり、再びアスリートの熱戦が繰り広げられることとなる。開催側の様々な問題はあれど、「アスリートたちが真剣にぶつかる様」がどれほど観戦する側の心にのこるものか改めて感じた人は多いことだろう。

2002年には、東京でサッカーのワールドカップが開催された。決勝トーナメント進出をかけた対ロシア戦のときは町から人がいなくなったとまことしやかに言われるほど、日本で多くの人たちが熱狂した。

2002年FIFAワールドカップ日本代表のみなさん Photo by Getty Images

そしてその対ロシア戦をNYに暮らしながら観戦する予定になっていたのが、杉山陽一さん。2001年9月11日のアメリカ同時多発テロで犠牲になった方だった。

2001年9月11日のアメリカ同時多発テロから20年、あの日を忘れてはならないと自身の著書の再編集と書下ろしで陽一さんの妻の晴美さんが伝える連載13回目の前編は、事件から半年後に出産した直後に陽一さんの遺体の一部がみつかり、「葬儀」を終えて帰国に向かうときのことをお届けする。

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悲しいことがあっても、家に籠っていられない

【5月・6月】
ニュージャージー、ニューヨーク周辺では、一番よい季節なのかもしれない。木々の多いこの周辺の緑は実にすばらしい。青々として目にも優しく、気持ちがいい。ただ大量の花粉が飛ぶため、アレルギーのあるわたしや太一にはやや辛い季節でもあった。

そうはいっても、せっかくの快適な気候。外出しないでいられるわけがない。病院に行き、アレルギーの薬を処方してもらい、なんとかくしゃみ鼻水をおさえ、わたしたちはせっせせっせと太陽の下に出ていった。

ニュージャージーのフェリー乗り場にて。4人での外出はなかなか簡単ではなかった 写真提供/杉山晴美

7月末にアメリカを去る予定は変わらなった。あとちょっとなのだ。そんな焦りもあったのかもしれない。とにかく、この地を満喫しておこう。少しでも多く、アメリカでの楽しい思い出を子供たちにも残してあげたい。悲しい思い出ばかりではかわいそうすぎる。

子供は楽しいことをあたえてあげれば、どんどん明るくなる力を持っている、とわたしは信じている。どんなに悲しい体験をしても、楽しい経験をつめば、きっと素晴らしい感性を身につけることができる。

ただ、いかんせん、わたしひとりで3人の子供たちとの外出には限界があった。そんな時、いつも助けてくれたのがマンハッタンに住むわたしの従姉妹だった。ひとり身で、子どももいない彼女なのだが、子供の相手がとても上手だった。

去年の9月以来、何週間かに一度、週末は我が家に泊まって子供たちの面倒をみてくれていた。子供たちも彼女のことが大好きだった。力斗などは、母親のわたしよりも大好きだ、というほどだ。退屈は子供にとってはまさに地獄。そしてその地獄にはまりそうな時、いつも助けてくれる。彼女こそ、子供たちには救いの女神だったに違いない。

そして、ご近所や保育園のお友達のお母さんたちも、ことあるごとにわたしたちを誘ってくれた。