女性は得だと思っていた

実は僕も、嫉妬という感情を女性性と結びつけてしまっていたがゆえに、その感情が男性である自分自身にも生まれ得るものだと認識できなかったところが少なからずあった。

それが如実に表れたのが、異性である女性に対して嫉妬した時だ。

「女性は責任を負わなくていいから得だ」
「女性は受け身でいても許されるから楽だ」
「女性は恋愛で自分からアクションを起こさないでいいからズルい」

こうしたことを、僕は20代の時にぼんやりと考えていた。
その後、社会に出て、そして時に夜の仕事などをしていく中で、女性が責任を負う立場につきにくい現実や、女性がみんな受け身でいるわけでも、許されているわけでもないことを遅ればせながら知った。

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男性として生きていくなか、「男だからこうしなければならない」という息苦しさや歯がゆさの矛先を女性に向けてしまっていたが、自分を苦しめていたのはむしろ「男性社会」そのものだったのだ。

しかし、その考えにいたってからも、かつて自分が女性に向けて抱いていた感情の正体が嫉妬だったということに、すぐには気づけなかった。それはやはり、自分の中で「嫉妬は女性がするもの」という思い込みがどこかにあったからだと思う。

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男性への嫉妬は「不健康」、女性への嫉妬は「正当」

そしてこの原稿を書く中で、嫉妬の対象が男性か女性かで、自分の考え方に差があることに気づいた。その例を挙げたいと思う。

僕は長い間、ジャスティン・ビーバーが嫌いだった。嫌いと認識しつつも、新曲が出ればチェックしたし、YouTubeでPVも観た。どこか大人になりきれないあどけなさや不器用さを表現するボーカル、ちょっと気だるそうに踊りつつもしっかりステップは決めるクールさ。そうした彼の魅力を把握しながらも、不思議なことに、僕は彼が嫌いだった。

本当は割と好きなはずなのに、なぜだかわからないけど、なんかムカつくという自分の心境がとても「不健康」なものに思え、その理由をあえて探ろうとはしなかった。しかしその後、彼が様々な要因によって精神的かつ肉体的に追いつめられ、歌手活動ができない状態になっていたことを知る。そして、それらを乗り越えた彼が久しぶりに発表した楽曲を聴いた際、ムカつくという感情はなくなっていた。

恥ずかしながら、この時になって初めて僕は気づいたのだ。その苛立たしさの正体が、自分と同性でなおかつ年下で、瞬く間に成功を収めて欲しいものを全て手にしているかのように見えた彼に対する「嫉妬」だった、と。