日本の五輪の「開会式と閉会式」が「こっぱずかしくて退屈」なワケ

東京五輪も、長野五輪も…
堀井 憲一郎 プロフィール

余談ながら、長野五輪の風景としておもいだしたもの。

長野駅を下りると、シャトルバスの乗り場に向かう途中に、カタコトの日本語で、チケットチケットという外国人がたくさんいた。外国からやってきた「フダ(入場券)売りの人」いわゆるダフ屋である。2000年の日韓ワールドカップのときもものすごく見かけた。地下鉄南北線の車内で、「チケットあります」の紙を持って車内を往復していて、すぐさま捕まっているのも見た。

外国からわざわざやってきたとおもわれるダフ屋をたくさん見かけるのが、オリンピックやワールドカップだったのだ。

 

これはこれで「お祭りの怪しい部分」という気配が横溢としていた。日本語がほとんど喋れないダフ屋が多く、あきらかにこのためだけに入国しているようだった。(オリンピックだとフランス語訛りっぽい外国人も多く、さすがオリンピックだなとおもった)。

でも2021年の東京では、見かけない。

無観客だから当然である。

そんな怪しい存在に来て欲しいわけではないのだが、そういうダークサイド側の気配がまったく存在しないことからも、あらためて2021年の東京オリピックは、「お祭りではない」ということを実感する。

長野五輪の閉会式のあとは、金メダルを首から下げた選手らしき連中とそのへんの急造の酒場で飲むということも可能で、それはそれで祝祭感があった。

いたしかたないことではあるが、お祭りではないオリンピックはいろんな部分で残念である。

関連記事