日本の五輪の「開会式と閉会式」が「こっぱずかしくて退屈」なワケ

東京五輪も、長野五輪も…
堀井 憲一郎 プロフィール

ところどころ、一瞬だけちょっと楽しいかも、とおもえる瞬間があるけれどそれは長続きせず、そもそも「全体としてパッケージで快適に見られるもの」として設計されていない。

世界中の選手と関係者を集めておこなう式典が、そんなテンポ良く展開できるわけがないのだろう。

1998年にライブで経験し、そのあとはテレビで見るばかりだが、どのオリンピックの開会式も閉会式も、「おもしろい部分はあるが、全体を通してみると、特にエンターテイメントとして見てしまうと、退屈である」というものである。そういう覚悟で見ている。そして開会式の録画予約をしても、かならず予定より延びてしまい、ときによっては終わりまで録画されていない(ビデオデッキの時代は特にそうだった)。

2021年の東京オリピックも、その流れのなかにある。いつもどおりだ。

こんなものである。

 

なんだか、こっぱずかしい

自国開催だけに、かえってこっぱずかしくなる、という点でも、1998年の長野オリンピックと同じである。23年ぶりに同じ感覚に襲われた。

みんな長野オリンピックを覚えてないだろうとおもうのは、この「こっぱずかしい感じ」について誰も語らないからである。当時はSNSはもちろん、インターネットさえ利用している人は少なく、メールも携帯電話で短い文章をやりとりだけする時代だった。テレビを見ていて恐ろしく退屈でも、それを多くの人と共有する手段はなかった。マイナス方向の気分を共有する手立てがなかったというのは、不便なぶん、それはそれで楽だった時代である。

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