2021.08.15

「日本の敗戦」へとつながった、ミッドウェー海戦「3つの問題点」

根本的な解決はなされなかった
1942年6月5日、日本海軍の連合艦隊が太平洋上で米軍と激突した「ミッドウェー海戦」。ここで日本側は、空母4隻と200機以上の航空機を失うという手痛い敗北を喫し、そのまま1945年の敗戦へと向かっていく。ミッドウェー海戦の何が失敗だったのか、『日本海軍戦史』から一部編集のうえでご紹介しよう。
 

「非現実的」だった日本の構想

ミッドウェー海戦の敗戦によって、山本五十六の意図した積極攻勢決戦の構想は挫折した。ハワイ攻略作戦は当然のこと、FS作戦も中止され、海軍は機動部隊の再建に専念せざるを得なくなった。

ミッドウェー海戦の様子[Photo by gettyimages]

陸海軍にとって、この後の作戦はいかに進めてゆくべきであったろうか。開戦直前に山本が批判したところの「南方資源地域を確保し長期持久態勢を確立して、ドイツのソ連・イギリスに対する勝利の機会をとらえる」という方針は、たしかに将来の展望が乏しい、非現実的な戦争指導構想であった。

しかしハワイ作戦からインド洋作戦、そしてミッドウェー作戦の推移を考えると、山本によるハワイ攻略構想も実現の公算は乏しく、万一実現したとしても早期に戦争を終結しうる可能性は絶無といってよかった。

山本五十六はじめ、当時の海軍首脳に対する数多くの論考で知られた野村實氏は遺作『日本海軍の歴史』において、「ミッドウェーで山本構想が破れたあとは、日本の国力から補給線の長さを考慮し、多くの地上兵力を伴う作戦線は、のちに決定された絶対国防圏〔筆者注:小笠原・内南洋(中西部)・西部ニューギニアを結ぶ線内〕の範囲におおよそ限定して、それ以上の遠方は、艦艇・航空機のみの機動作戦に依頼するのが適当であった」と述べているが、筆者も同感である。

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