2021.08.13
# 野球

松井秀喜の10年前、ファンを「置き去り」にしたプロ野球「5打席連続敬遠」の真実

プロ野球・裏面史探偵(8)

わずか9毛差の首位打者争い

5打席連続敬遠というと、1992年夏の甲子園、2回戦の明徳義塾高(高知)対星稜高(石川)戦において、明徳・河野和洋が星稜・松井秀喜に対して行なった全打席敬遠が思い出されるが、同じような出来事はプロ野球にもあった。ただし、同じ5打席連続敬遠でも、その性格は随分、異なっていた。

1992年夏の甲子園で明徳義塾から5打席連続で敬遠された、元メジャーリーガーの松井秀喜選手[Photo by gettyimages]
 

1982年10月18日、横浜スタジアム。中日はマジックナンバーを1として、首位で最終の大洋戦を迎えた。このゲームに勝つか引き分けで8年ぶりのリーグ優勝が決まる。逆に負ければ、全日程を終了していた巨人の2連覇が決定する。

先発投手は中日が小松辰雄、大洋が金澤次男。1回表、先頭打者の田尾安志はストレートの四球を選んだ。大洋ベンチが田尾との勝負を避けているのは見え見えだった。

というのも、この時点で田尾の打率は3割5分1毛。一方、大洋・長崎啓二の打率は3割5分1厘。わずか9毛差で長崎が打率1位をキープしていた。既に5位が決定している大洋。関根潤三監督は、チームの勝利よりも個人タイトルを優先させたい意向だったのだろう。長崎はスタメンから外れていた。

ゲームは3回までに5点をあげた中日の一方的な展開となった。しかし、その後も田尾への敬遠四球は続く。2打席目、3打席目、そして4打席目も、田尾は一度もバットを振ることなく一塁へ歩いた。

8回表、8対0の場面で、田尾にこの試合5回目の打席が巡ってきた。大洋のピッチャーは2年目の山口忠良。3ボールナッシングからの4球目と5球目、田尾は抗議の意味を込めてバットを振った。

関連記事