徳川家康が「人生で1番失礼」だと激怒した手紙、一体どのような内容だったのか?

上杉vs徳川、関ヶ原前の「攻防」
今福 匡 プロフィール

原本は伝存しておらず、書状形式から編纂物への採録など、さまざまな形態の写しが残っている。諸本によって条数は異同があるが、だいたい十六ヶ条に及ぶ長大な内容になっている。「直江状」の日付は4月14日となっており、この段階では上杉家の総意として、諸々の理由によって景勝が上洛することはできないというものであった。

米沢市上杉博物館蔵の直江兼続の肖像画[ウィキメディア・コモンズ]
 

諸々の理由とは、当国が雪国であるため10月から3月までは往来が不自由であること、すでに数通の起請文を提出していること、景勝を讒言した者への糺明がなされていないこと、上杉の取次役であった榊原康政が讒言をした堀監物の言を一方的に取り上げていることなどを挙げている。

また、兼続は「夏中ニハ御見回りとして上洛仕られべく候内存」と記しており、景勝の上洛を全面否定しているわけではない。ましてや、「直江状」は家康への挑戦状といわれるようなものではない。兼続の書状は、すぐに上洛できない理由をこれでもかというぐらいにならべたてているため、一見、上洛を全面的に拒絶しているようにとらえられてしまうのだ。

家康の使者伊奈・河村が上方を発したのが4月10日である。同月下旬頃には伊奈・河村は会津に到着していたと考えられる。「直江状」冒頭の「今朔之尊書、昨十三日下着」という記述は、伊奈・河村両名が4月1日付けの承兌書状を携行して、会津へ移動する日数に無理があるため、「直江状」を偽文書とする証拠のひとつとされている。

これは、江戸時代の編纂物等に、いかにも伊奈・河村が持参したように書かれているせいもあるが、承兌の書状は両名に先行して送られたと考えたほうが妥当であろう(山本博文『天下人の一級史料 秀吉文書の真実』)。

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