「家事=愛情」という刷り込み

なぜか家事は、CMやドラマ、マンガなどで、愛情と結びつけられがちだ。特に洗濯の場合、なぜか洗濯をすること、干すことを幸せな主婦像と結びつけて描くCMが多い。そういえば昔、洗濯機に「愛妻号」と名付けたメーカーもあった。若干死語になりつつあるが、「愛妻弁当」という言葉もいまだ現役だ。

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なぜ、家事は愛情と結びつけられるのだろうか。子どもの世話や家族の介護に愛情を求めるのは自然かもしれないが、家事全般を愛情表現と取られると、家事の担い手の中には違和感を覚える人がいるのではないだろうか?

家事は、日常生活に組み込まれている。歯を磨いていてふと、洗面台の汚れに気が付いてふき取る。晴れていたら洗濯をし、部屋が散らかっていれば片付け、食事を作るために買い物をし料理する。慣れた人なら、自然に体が動いていることも多いのではないか。

また、育児や介護まわりの行為ですら、いつも愛情を込めてやっているとは限らない。しょっちゅう泣く赤ん坊を機械的にあやしているときもあるだろうし、泥んこになって帰ってきた子どものスニーカーを磨くのは、汚れをつけたまま外に出かけないで欲しいからかもしれない。寝たきりの人の体を拭くことを、義務的に行っている日もあるだろう。

もともと際限なくあるのに、家事を増やす家族がいる場合もある。「やってられない!」と怒りながら作業している人に、愛情を求めるのは違うのではないか? そのうんざりする気持ちも、機械的な行為も愛だ、と言われてしまうと、何か自分の気持ちを勝手に書き換えられたみたいで違和感が残るだろう。