私たちは子供にどう伝えるのか

戦争を起こしてまでオサマ・ビンラディンを引きずり出し、世界中の人々の前で裁き、正当と思われる刑に処せたとしても……そう、なにも解決はしないであろうことは容易に想像がつく。それで被害者たちの霊が鎮魂されるとも思えないし、我々家族も納得いくものではない。現に戦争が起きてしまったという時点で、さらなる犠牲者、犠牲者家族が多数発生してしまっているのだから、納得しろと言われても無理なわけだ。

被害者の子供たちであるわたしの子供たちに……いずれ子供たちが真実を知りたがる時期が来た時、「あなたの父親は○○によって命を奪われたのよ」……わたしはどういう○○で子供たちに語るのだろうか。

テロリストによって? それはそう、事実である。そしてテロ行為を憎む気持ちはもちろんある。けれどやはり○○は「テ」「ロ」だけが正解ではない。これからの時代を生きていく子供たちがしなければならないことは、単純に自分たちの父親の命を奪った「個人=テロリスト」のみに恨みを抱くことではなく、テロリストを生み出さない世界、真の世界平和を模索するということなのである。

「争いのない世界」をと、無責任に口に出すだけではいけないとわかりながらも、具体的な案を出し世界を動かす力など、今のわたしたち親子にあるわけではない。それでも、そうは言っても……無力な我々であってもきっと「考える」ことはやめてはいけないのだ。

少なくとも「考える」ことはできる。それまであきらめてしまってはいけない。そして子供たちにも「考えることの重要性」を教えていかねばならない。そんな小さな小さな塵が積もって山となり、地球を救うパワーになってほしい。

子供たちを含めた一般市民のすぐ近くで銃が火を噴き、爆撃が起こる。それが戦争だ Photo by Getty Images