習近平総書記が初めての「チベット自治区視察」でぶった大演説の中身

まるで故宮の皇帝様のように

五輪以上の「重要ニュース」

東京オリンピックの開会式典が7月23日夜に行われ、世界中でその模様はトップニュースとして伝えられたが、隣の中国だけは違った。CCTV(中国中央広播電視総台)のニュース番組『朝聞天下』では、オリンピック関連のニュースなどスッ飛ばされたのだ。

それは、頭から30分近くにわたって「重要ニュース」を報じたからだった。7月21日から23日まで、2泊3日で習近平総書記が、チベット自治区を視察したことである。

2012年11月に共産党総書記に就任して以来、もしくは2013年3月に国家主席に就任して以来、初のチベット訪問だった。「チベット平和解放70周年」を記念した重要視察だったと、CCTVは大仰に伝えた。

Gettyimages

んっ、チベット平和解放70周年? 「チベット武力制圧70周年」というのが事実では? 

1949年10月、国民党軍を破って中華人民共和国の建国に貢献した人民解放軍は、翌1950年から1951年にかけてチベットに侵攻し、全土を制圧してしまった。それまでチベットは、事実上の独立国家だった。

過去に遡っても、チベットには吐蕃(とばん 618年~842年)以来の事実上の独立国家としての伝統がある。ソンツェン・ガンポ王が建国した強大な吐蕃を懐柔するため、640年に唐が、王の息子グンソン・グンツェン王に向けて、文成公主(太宗の娘)を妃に送ったのは有名な話だ。

古代のチベットは強かったのだ。なぜ中国側が長く、チベットとの戦争に勝てなかったかと言えば、おそらく高地に慣れなかったからだろう。中心都市のラサでも、富士山の山頂と同じ標高3600mで、周囲はさらに高い山々に囲まれている。私もラサで高山病にかかり、ぶっ倒れたことがあるが、とにかく空気が薄くて、普段からチベットに住んでいないと、到着するや呼吸困難に陥ってしまうのだ。

清の時代になって、ようやく中国が優勢となり、雍正帝の時代に、チベットの内紛に付け込んでチベット領を分割した。だが20世紀に入って清が崩壊すると、チベットは再びもとの統治を取り戻した。

中国では1945年に日本軍が撤退し、国民党軍と共産党軍(紅軍)が3年に及ぶ国共内戦の死闘を繰り広げ、共産党軍が勝利。そこから人民解放軍が、余勢をかってチベットに攻め込んだのだ。

1959年には、中国の圧政に耐えかねて、ダライ・ラマ14世がインドに亡命。亡命政権を作っている。1966年に文化大革命が始まると、紅衛兵がチベットに乗り込んできて、ほとんどの仏教寺院を破壊し尽くしてしまった。

領土問題というのは周知のように、古今東西どこでもややこしい。また、弱肉強食によって強者が弱者を支配するのが中国大陸の「掟」だから、いまは強者である中国共産党がチベット全域を支配している構図だ。

 

それでも、社会主義と宗教というのは、なかなか相容れないものがある。なぜなら、社会主義は容易に、最高指導者を偶像崇拝化しがちであり、それは天上の神を崇める宗教と衝突するからだ。

この矛盾を解決するには、社会主義と宗教との間で、巧みにバランスを取っていくしかない。バランスを崩すと、いまの新疆ウイグル自治区のように、国際社会が強く反発することになる。

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