しかし以前にも増して、スポンサー然、タニマチ然とする企業(やそのオーナー)を「下品」だとみなす雰囲気が醸成されているように思います。また、企業側も支援するアスリートを選ぶ基準が、競技成績や人気よりも、そのアスリートの人格や企業との相性に重点が移っている印象があります。
たとえばナイキは、アメリカンフットボールの選手コリン・キャパニックを広告に起用して物議をかもしました。キャパニックは人種差別に抗議するなど、明確な主張の持ち主で、そのため批判されることも多い選手でした。

しかし、ナイキはキャパニックの行動を「ソーシャルグッド」とし、支援を続けます。もちろん、ナイキならではの、あえてポレミック(物議をかもす)な方策をとる炎上商法という非難もありました。また、製品の製造を開発途上国の児童労働に依存していると告発されたことなど、ナイキ自身の過去の「ソーシャルバッド」イメージを払拭する戦略とする見方もありました。
しかし、ナイキファンにとって、キャパニックを起用し続けることは、決してマイナスにはならなかったはずです。
一方、日本ではまだまだ、社会的・政治的な発言をするアスリートやタレントを広告等に起用することへの忌避は強いと思います。ですが、海外ではむしろ企業の側が積極的に旗幟を鮮明にする例も少なくありません。
東京五輪をどう思うのかという問いへの、トヨタの一定の回答が、五輪CMの取りやめだったのでしょう。そう考えると、「グローバルな動向に準じていく」との、トヨタからの意見表明のようにも思われます。