好き嫌いを言うことは誰かの尊厳を侵すことではない

自分を守るために本音を隠すこともあったが、多様性を認める社会の空気感も相まって今は、晒すことで結果的にストレスなくコミュニケーションを取ることに繋がっている。周辺の人間関係に悩まされることは格段に減った気がする。しかし、主張をすることで、誰かの尊厳をないがしろにしてないかも敏感でなければならないとも感じている

たとえば夕張メロンだって、基本は美味しいし、素晴らしい果物だ。ただ、もともと甘いものを好まない私が個人の嗜好としてそこまで好きではないだけ(食べすぎたという理由もあるかと思う)。でもそれを主張することは、「夕張メロンは不味い」という主張では決してない。それをきちんと伝えるために、「嫌いの言い方」を誰かの尊厳を傷つけない言い方にすることはとても大切だ

写真提供/バービー

私の主張を受け取る側だって、「嫌いというのは嫌うものの尊厳をふみにじるものだ」と受け取る必要はない。個人個人、ただ好き・嫌いはあるのだ。そしてそれはイコール好きな対象、嫌いな対象そのものをディスることではないのだ。そういう前提でなければ、「好き・嫌い」を口に出すことができなくなってしまうだろう。

そんな風にシンプルに「その人の好き・嫌い」をそのまま受け入れられたら、そのうえで「その嫌いを好きにするやり方はあるのかな」などと話し合えたら。全ての人が思い通りになる世界など、ありえないのかもしれないが、話し合いでどうにか落とし所を見つけたいと思うのは私がまだまだ青いからなのだろうか。

意思を表明しないことには、どう敬えばいいのかわからない。能動的に意思表示するのが苦手な人は、NOの意思だけでも、同調しないという態度を取るだけでもいい。そうすれば、周囲がそれを尊重することができる。

好きなことに没頭して生きている人の周囲数メートルは、良くも悪くも働く同調圧力が効力をなさない聖域だと思っている。好きの数だけ、その聖域が増す。

自分に正直に生きていると、誰からも何も奪わずに、自家発電で心地よく過ごせると思うようになった。怒りのマグマは溜まる前に小出しにしたい。不意に流れ出したマグマは、人を傷付けてしまうかもしれないが、うまく活用すれば、熱エネルギーとして利用できるかもしれない

母はそしてやっぱり、この時期になるとメロンを送ってくる。私に、ではなく私の大切な人に渡すために。

母にとってメロンは特別なのだ。メロンを贈ることで交流を図ってきたメロン外交の達人にとっては、愛情表現かもしれないし、通貨かもしれない。

価値観は人それぞれだなぁと、つくづく思う。

メロン外交の達人・バービー母。写真提供/バービー


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