「東京五輪2020」で露呈したこの国の統治の崩壊を振り返る

再生への途は「不正への怒り」から
白井 聡 プロフィール

公正性への感覚がひたすら失われてきた社会

日本の戦後がある時期まで「平和と繁栄」を謳歌していたように見えたとしても、その裏面では、社会の基盤としてあるべき公正性への感覚が決定的に傷つけられてきたということ、そこにこそ問題の核心がある。そのような社会は、いったん悪い循環に入れば、そこから脱け出せなくなる。なぜなら、悪い流れに抗して真っ直ぐに立ち、向かうべき方向をまなざそうとしても、踏みしめる土台=基盤が存在しないからである。

この東京五輪2020をめぐっていくつの不正がなされてきたか、もう数え切れないほどだ。さらに、いまは明るみに出ていない不正もおそらくあるだろう。そして、五輪を呼び寄せた張本人=安倍晋三とその後継者=菅義偉は、数々の不正にまみれ続け、かつ日本社会はそれを許し続けてきた。新型コロナ対策のための諸々のアプリのトラブルやマトモな防疫体制がいつまで経っても構築されないなど、いまや実務も回らなくなってきた。公正性への感覚を欠いた社会は、ここまで堕ちる。

 

そんな社会が自らの現実を直視したくないために開くお祭り騒ぎは、始まる直前となった段階でさらに人権問題などに見舞われた。それは、この行事が日本社会のなかでも公正性への感覚がとりわけ欠如した人々によって差配されてきたことのさらなる証明となった。だが、もはや驚くには値しないだろう。不正な動機(3.11の深刻さの隠蔽)によって企図され、不正な手段(買収)によって選定され、コロナ禍の下で不正な目的(菅政権の政権維持)のために強行され、不正なパートナー(ぼったくり男爵率いる銭ゲバ軍団=IOC)と組んで行なわれるこの行事で中心的な役割を担うという行為は、よほどの下司でなければなし得ない。

ゆえに、東京五輪2020を「呪われた」と形容するのは適切でない。「呪われた」という言い方には、何か人智を超えた運命の力のようなものによって不運につきまとわれる、といったニュアンスがあるが、新型コロナの大流行はまさに運命的な偶然であるにしても、この大会が不正の総合デパートとなったことは完全に必然であり、戦後日本社会の歩みの結果なのだ。

そして、この過程を通じて、「ムシャクシャ」の正体をわれわれははっきりと見て取ったのではないか。それは、公正性への感覚を欠いた社会を維持し続けたい、公正を要求する国内外の声や圧力に対してヒステリックに喚き立てたいという欲望だ。ゆえに、森喜朗組織委員長の失言・辞任事件を筆頭に、「日本社会の人権意識の低さ」が国際的な注目を集めるに至ったのも、偶然ではない。性差別や人種差別を維持し、人権への嘲笑を続けたいというみすぼらしい欲望こそ、五輪開催を強力に推進してきた人々の最も深遠な動機であったのだから。

関連記事