「東京五輪2020」で露呈したこの国の統治の崩壊を振り返る

再生への途は「不正への怒り」から
白井 聡 プロフィール

あの戦争の未処理こそが核心

その捌け口こそ、東京五輪2020だった。大災害の発生によって「復興五輪」の大義名分を得たかのごとく、招致活動は国家プロジェクトとして本格化していった。そして、2013年9月ブエノスアイレスで開かれたIOC総会で、東京は2020年夏季大会の開催地に選ばれる。2012年12月に再び政権の座に就いた安倍晋三は「フクシマはアンダーコントロール」の演説によって開催権をたぐり寄せた。

photo by gettyimages
 

かくして、原発事故の克服と東北の復興という課題への答えは、「東京でオリンピックをやること」に定められた。そこには途轍もない論理破綻がある。そして、すでに述べたように、論理破綻こそ衆愚制の明白な兆候にほかならない。五輪招致が決まって以降、民主主義の衆愚制への頽落がいよいよ加速したのも必然であった。

いつから、なぜ、われわれの国と社会は、こんなものになり果ててしまったのか。筆者は2013年に上梓した『永続敗戦論』から近著の『主権者のいない国』に至るまで、繰り返し同じことをさまざまな場所で書いたり話したりしてきたが、それでもなお繰り返さなければならない。なぜなら、結局問題の核心に迫らない限り、解決は絶対にあり得ないからだ。

その核心とは、「あの戦争の未処理」である。日本人は、大東亜戦争の悲惨な結果の責任を自らの手で追及しなかった。また、敗戦を契機として根底的に生まれ変わることも拒否してきた。官界、政界をはじめ、戦前戦中との断絶は、きわめて中途半端なものでしかなかった。そのシンボルが、東条英機内閣の重要閣僚だった岸信介が、結局罰せられることなく、やがては首相の座にまで上り詰めたという出来事であった。
いまわれわれが見せつけられているのはその究極的な帰結だ。それは何も、岸信介の孫が何の結果も出せなかったにもかかわらず憲政史上最長の政権を担ったとか、「ナチスの手口を見習ったら」と放言した政治家が閣僚の座にとどまり続けているといった事柄にとどまるものではない。それらは表層の次元にすぎない。

関連記事