「東京からほど近い郊外=トカイナカ」で二拠点生活を送っているジャーナリスト・神山典士さんが様々な新しい働き方を追う「トカイナカ生活」。今回は軽井沢と東京とで二拠点生活を送り、農業や地域に根付いた仕事をしている「追分男子」と呼ばれるふたり組・船倉裕作さんと岡澤光央さんを紹介する。連載2回目の前編では、「追分男子」のひとり、役者を目指していた船倉裕作さんが軽井沢で「新しい舞台」を見つけるまでをお伝えした。後編では、現在も大手企業に勤務する岡澤光央さんのWワークと、二人が一緒にやっている中で起きた「化学反応」についてお届けする。

-AD-

震災体験から地方でダブルワーク

「軽井沢と出会って、ぼくは働き方や生き方が変わった気がするんです」

港区にあるIT企業本社の会議室で、岡澤くんはそう語り始めた。平日の午後、オフィスは閑散としている。リモートワークが徹底していて、岡澤くんも出社は週1、2度だ。

コロナ前に始まった軽井沢通い。東京から新幹線で約1時間20分の「トカイナカ=都心から1・5時間圏内」だから気分を変えるにはちょうどいい。けれど金曜日の夜に新幹線に乗り、週末二日間レストランや畑で目一杯働いて月曜日の早朝の新幹線で東京に戻り、また一週間が始まるスケジュールはさすがにしんどかった。その姿を見ていた相棒の船倉くんは、こう言って笑った。

「あの頃は彼を早朝の新幹線の佐久平駅に送ると、階段を上るのがヘトヘトで可哀相なくらいでした」。

ところがコロナでリモートワークになってからは、自分でタイムマネジメントすれば平日に軽井沢でも仕事ができる。行きも帰りも自由だ。軽井沢にマンションを借りたら家賃は3万5000円。それでいて60平米もある。都心では考えられない。「二地域生活もずいぶん楽になりました」と岡澤くんは笑う。

「それまではダブルワークを始めてもやはり会社に縛られている気がしていました。毎日の出社がネックだった。でもコロナで働き方が変わり住居の選択も変わりました。会社の仕事もしっかりやるけれどそれ以外の好きなことも仕事としてやりたい。そう考えるぼくのような人には生きやすくなったと思います」

それにしても一流企業の仕事があるのに、なぜ軽井沢でのダブルワークを始めたのだろう。岡澤くんはこう語る。

「大きかったのは大学時代に仲間の一人が修善寺で起業したこと。遊びに行ったら本当にいいところで、こんなところで働いて暮らせたらいいなと地方に注目していました。それから東北大震災。ボランティアで釜石を訪ねたら、あの地で起業している人たちは東京の仕事とは職業観が違うなと思ったんです。それは――――」

被災地に残って仕事を立ち上げた人たちは、地元の課題を前に、自分には何が出来るかを考えて仕事を創っていく。すると地元の人の「ありがとう」が返ってくる。東京の大企業の仕事は喜んでくれる人の顔が見えにくい。人々の課題を解決するというよりも、企業の儲けを考えている面が強いのではないか。そう感じてしまったのだ。
「その頃船倉くんに軽井沢に呼ばれてレストランで働き始めたら、お客さんとの距離が近いし喜ぶ顔が見えたのです。地元の人の課題解決を仕事にするスタイルはいいなと心底思いました」

レストランでの岡澤さん 写真提供/岡澤光央