検索エンジンもSNSも…ネットに埋め込まれた「ランキング」の功罪

人気が人気を呼ぶ循環構造の不合理
宇田川 敦史 プロフィール

ランキングの遍在を乗り越えるには

もちろんだからといって、社会にあるランキングがすべて「ネタ」として認識されているわけではないし、ランキングが不正確な情報を流通させやすいという構造的な問題を放置してよいわけでもない。

ランキングを提供するメディアが、これらの問題を把握しそれをコントロールするようなアルゴリズム上の改善や、編集者観点でのランキング内容の精査などを行うことは非常に重要な課題である。メディアの送り手の側が、アクセス数や売上などを測定することによってランキングがコンテンツとして(「ネタ」も含めて)簡易に生成できてしまうことの功罪を認識し、その内容の正確性や公共性の観点から責任をもって発信すべきだ。ユーザー情報をアルゴリズムでマッチングさせるデジタル・プラットフォームであればなおさら、そのアルゴリズムの動作や制約条件に対し、透明性を高めていくことが求められる。

とはいえ、これらの対策をメディアやプラットフォーム企業に求めていくことには限界もある。ランキング自体がアクセス数を集め収益を持続的に確保するための重要なコンテンツになっている側面は否定できないし、上述した再帰的な循環は、ランキングというフォーマットを利用する以上避けられない現象だからだ。

 

ランキングを相対化するリテラシー

結局のところ、わたしたち自身が、検索エンジンやSNSなどのランキングの問題や限界を理解した上で、ランキングに過度に依存しない意識をもつことが重要だろう。そしてこのことは、プラットフォームの仕組みそのもの対するメディア・リテラシーを考えることでもある。ここではさしあたり、2つの方向性を提示しておきたい。

第一は、ランキングのような情報選別手段の介在に意識的になることで、ひとつのランキングに依存しないように注意を払うことだ。先述の通り、Googleの検索エンジンが返すWebページは、特定のアルゴリズムに依存したランキング形式になっている。そのアルゴリズムは必ずしも「客観的」で公正なものとは限らないだけでなく、その評価にコンテンツの正確性は反映されていない。

大事なことは、条件反射的に上位のページだけを見るのではなく、ランキング下位まで確認したり、上位の情報の正確性を別のメディアによって確認するなどの地道な「裏取り」の意識をもつことだ。最近は、ニュース情報であれば、「ファクト・チェック」という第三者がその正確性を検証する仕組みもある。

さらに重要なのは、今利用しているアルゴリズムやプラットフォームそのもののあり方を相対化する視点だ。検索エンジンの例でいえば、近年上述のような問題への批判を背景に、Googleに対抗するオルターナティブな検索エンジンが複数現れている。

例えばDuckDuckGoは、ユーザーの行動履歴を一切収集しない検索エンジンであると同時に、Googleとは異なるアルゴリズムによってランキングを算出している。また、まだ日本語版はないものの、広告ゼロの検索エンジンとして、Google出身のエンジニアが新たに作ったNeevaというサブスクリプション型の検索エンジンも話題になっている。

「個人情報を保存しません」と宣言するDuckDuckGoのトップ画面 (2021年7月2日取得)

第二の方向性は、ランキングをあえて「ネタ」として扱うことの積極的な可能性を模索することだ。先述のとおり、ランキングとは情報選別のツールであると同時に、「ネタ」として消費されるようなエンタテインメント性を併せもつ両義的な表現形式である。実際私たちがランキングに接する時、このふたつの要素の混在を意識することで、ランキング自体を多様な可能性のうちのひとつの表現として相対化することが可能になる。

例えば、Yahoo!ニュースの人気上位コメントも、そこで読んだ意見を「情報」としてとらえ、自分の投票行動に結びつけることもできれば、半ば娯楽的な消費の対象としてとらえ、それを友人との会話の「ネタ」として相対化することもできる。同じように考えれば、検索エンジン・ランキングも、そこに常に重要で正確な「情報」があると考えるのではなく、もっともらしい「ガセネタ」が混ぜられたゲームだととらえることも可能だ。

検索エンジンやランキングを情報選別のツールとしてとらえてしまうと、その上位だけでなく、下位の方まで確認するという作業は確かに面倒だ。ましてや複数の情報ソースを使い分けて多角的に情報を集めることはさらに手間がかかる。

しかし検索結果のランキングの上位がどうも「ガセっぽい」「しっくりこない」ために、ランキング下位まで探し続けるということは、多くの人が実践していることでもある。それは決して「効率の悪い」ことでもなければ「できれば避けたい」ことでもない。むしろ、どんな時でも、「ガセネタ」が混ざっているかもしれないと疑いながら、検索結果を下位まで「ネタ探し」するようなある種のゲーム感覚を持ちたい。そこに、新たな発見があるかもしれない。

情報があふれるメディア環境だからこそ、その選別や選択にはある種の慎重さが求められる。しかしその「慎重さ」とは、ひとつの絶対的な正解を見つけ出すために躍起になることではない。逆説的だが、あらゆる情報を「ネタ」として相対化することが、情報の真贋に振り回されるのではなく、情報の流通や分配のプロセスそのものを理解しようとする姿勢につながる。その解釈の多様性を意識しておくことこそが、現代のメディア環境に適応的な「慎重さ」なのではないだろうか。
 

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