7月23日に公開されるドキュメンタリー『ココ・シャネル 時代と闘った女』は、ココ・シャネルにまつわる数々の「神話」を検証し、女性蔑視的な社会のなかで彼女がどのように誕生したかを描いている。

前編「ココ・シャネルはナチスのスパイだった!? 偉大な功績の裏の『知られざる黒歴史』」では、ナチスのスパイ容疑や「N°5」の知らぜらる事実を紹介したが、後編では、本作のジャン・ロリターノ監督へのインタビューをもとに、シャネルの生い立ちや晩年について語られてきた逸話の真偽に迫る。

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シャネルのロゴの誕生秘話は作り話だった

本作は、ココ・シャネルの黒歴史を暴くだけではなく、伝え継がれてきた数々の神話をも崩す。そのひとつは、オーバジーヌ修道院のエピソードだ。過去に伝記作家らが伝えてきたのは、1889年に母が亡くなった12歳のシャネルは、父親に捨てられてオーバジーヌ修道院に預けられた、というエピソードだ。そこでシャネルは縫製を学び、修道院の制服や建物から、シンプリシティや機能性を重視するユニークな美的感覚、黒への偏愛(当時、黒は喪服にしか使われていなかった)、シャネルのロゴマークなどのインスピレーションを受けた、というのが通説になっており、現在、このオーバジーヌ修道院はシャネル縁の観光名所としても知られている。

ところが、ドキュメンタリーは当時の国勢調査を紐解き、シャネルが実はオーバジーヌ修道院へ行っていなかったことを発見する。シャネル社の元社員で、様々なシャネルの伝記を読んできた筆者にとっても驚愕だ。

この点について監督に確認すると、実はオーバジーヌ修道院のエピソードは、シャネル自身が選んだ作家、エドモンド・シャルル=ルーがシャネルの伝記『ココ・アヴァン・シャネル─愛とファッションの革命児』(1974)で、「シャネルの母がオーバジーヌ修道院の近くで死んだからそこに送られたのではないか」という推測に尾ひれがついたものだったという。シャネル自身はそのことについて話していないし、何の記録もなかったのだ。