結婚10周年の日、テロに巻き込まれた夫は行方不明のまま……そんな状況に陥ってしまった杉山晴美さん。2001年9月11日のアメリカ同時多発テロが起きた日、夫の陽一さんは2回目に突入したワールド・トレード・センター・ビルのサウスタワーにいた。
あの日を忘れてはならないと、2002年に晴美さんが出版した著書『天に昇った命、地に舞い降りた命』を再編集し、書下ろしとともに伝える晴美さんの連載「あの日から20年」、7回目の前編では、晴美さんが陽一さんと大学のサークルの先輩後輩として出会ったときから距離が縮まるまでのことをお伝えする。

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夫との出会い

結婚10年を目前にして、夫が行方不明になるという残酷な体験。ほんとうに辛かった。いまだって、辛い。では、この結婚、しなかった方がよかったか? いっそ彼と出会わなかった方がよかったか? そうすれば、このような辛い思いをせずにすんだかもしれない。

もちろん、そんなこと思うはずはない。やはり、いまどんなに辛くとも、彼との出会いは、わたしにとって、一生涯忘れられない、大切な宝物なのである。

宝箱の中の、その出会いを、いまもう一度確かめてみよう。遠い、遠い記憶ではあるが、けっして失いたくはないから……。

わたしは立教大学時代、スキーのサークルに所属していた。それは、大変厳しいサークルで、夏場は、週3回の陸上トレーニングでみっちり体力を養い、冬場は1月のテスト時期以外、合宿や大会のためにスキー場を転々とし、年間70~80日は雪上にいた。上下関係も大変厳しく、入部当初のわたしの、このサークルへの印象は、「軍隊みたい」というものだった。

「スキーサークル」といいながら練習も上下関係もとても厳しかった(写真はイメージです) Photo by iStock

そんなサークルでの厳しい生活を3年間送り、現役を引退し、4年生になった。最高学年になると、軍隊のようなサークルも楽しいものである。「4年生の方」などと後輩から呼ばれ、神様のような扱いを受ける。

サークルでは、週1回、ミーティングが開かれていた。昼休みに教室に集まり、点呼のあと、報告事項やその他の話し合いなどが、持たれていた。わたしは、4年生になった最初のミーティングで、現在の夫の名前を初めて耳にした。新入生が集められていたのだ。耳慣れない1年生の名前を、この年の主将が呼んでいく。

「すみやま」
「はい」

このやりとりを聞いて、わたしは「すみやま」を「すぎやま」と間違えて聞き取った。

「あら、わたしと同姓の子が、入部したのね」

顔は確認できなかった。1年生は、大勢いた。どの子が杉山君かしら? 妙に気になったのをよく覚えている。しかし、この後名簿が配られても、杉山という苗字はわたし以外見当たらない。「?」おかしいと思いながら見直すと、「住山」という苗字が目に入った。「あ、そうか。この子なんだわ。なんだ、すみやまくんだったんだ」まだ、本人の顔を見る前から、「すみやまくん」は、わたしにとって一番印象深い1年生となった。