「織姫と彦星」が働かなくなった?
意外すぎる伝説の内容

「織姫(おりひめ)」は機織りの名手。恋人も作らず賢明に働く娘のために、父である天帝は働き者の牛使い「彦星」を婿に選んで結婚させる。幸い2人の相性はよく、しかし、仲が良すぎて結婚後、全く仕事をしなくなった。結果、神々の服はボロボロに、牛は痩せ細ってしまう。

怒った天帝は、2人を引き離し、天の川を隔てて別居させる。すると、今度は互いに会えない悲しみに明け暮れて2人とも働かなくなった。困った天帝は、仕事に励むことを条件に、年に1度だけ、再会を許すことにした。七夕の夜、天帝の命を受けた「カササギの翼に乗って」天の川を渡り、2人は毎年、再会できるようになった。もちろん、それ以外の日々は、仕事に勤しむという約束を果たしてこそ、の逢瀬だった。

節句コーディネーター・イベール氏による「雛人形七夕見立て」。内裏雛に万葉時代の白いストールを着せて織姫と彦星に。脇には牛車の牛。天の川は紙テープで作った星の集合体。真ん中にはカササギ見立ての鳥の置物。写真提供:イベール(14thmoonギャラリー)

中国に伝わる「星伝説」。数あるバージョンのうち興味深い話を選ぶと、上のようになる。この伝説を受けて、中国では毎年、「乞巧奠(きっこうてん)という行事が行われた。星空の下、書道や裁縫の道具、琴や琵琶を飾り、牽牛・織女の二星に裁縫技芸の上達を願うものである。「乞巧」とは技の上達を願い、「奠」とは物を供えて祭るという意味だ。

京都で続いている行事のルーツは中国から入って日本古来の風習と結びついて、宮中や貴族の間に取り入れられたものが多い。七夕の場合は、日本古来の「棚機つ女(たなばたつめ)」伝説と合わさった。

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「棚機(たなばた)」は日本に伝わっていた禊(みそぎ)の行事だ。乙女が着物を織って棚に供え、神々を迎えて、秋の豊作を祈ったり、人々の穢れを祓ったりした。選ばれた乙女は「たなばたつめ」と呼ばれ、川などの清い水辺にある機屋(はたや)に篭って、神々のために心をこめて着物を織った。この伝説がゆえに「しちせき」と読まれていた「七夕」が「たなばた」と呼ぶようになったといわれる。

宮中では、「七夕の節会」は重要な行事として位置付けられた。11、33、55、77、99と奇数が重なる日は陽の気が強くなる。それらを「五大節会(ごだいせちえ)」として祝うことで邪気を払えると信じられていたのだ。7月7日夜、清涼殿の庭に机を置き、灯明を立てて供物を供え一晩中香を焚き、庭の椅子に腰かけて天皇自らが2つの星が出会うことを祈った。同じ日、公家の家々では、裁縫や詩歌、染織の技が匠になるように、願い事をカジの葉に書いていた、と『平家物語』に記されている。