「野球道」「相撲道」など…乱立する“道”と日本人の危うい関係

今こそ知りたい! 「方法論」より「目的論」(9)/終
安田 秀一 プロフィール

方法論にとらわれやすい「道」

もちろん、スポーツにおいてメンタルが非常に重要なことは言うまでもありません。また、スポーツ指導では、師匠と弟子という徒弟制度的な信頼関係が大切になってくるというのは常識です。そのような意味では、「道」という考え方は、スポーツと非常に親和性が高い部分もあるのですが、一方で「何のためにそれをやるのか」という目的論ではなく、方法論にとらわれてしまうという「罠」もあるのです。

安田秀一氏 撮影/渡辺充俊
 

たとえば、みなさんは「茶道」と聞くと、まずは正座をして、お碗を回して茶を飲み、器を褒めて、お菓子をいただくというような一連の作法をしっかりやることが大切だと思うのではないでしょうか。しかし、本来これは「茶道」ではありません。

千利休が「茶の道」を説いたときから、茶道とは「人をもてなす際に現れる心の美しさ」を表現することにあり、この「もてなし」の精神性や作法、茶室や庭などの「しつらえ」も含まれた総合芸術だと言われています。お碗を回す、器を褒める、などの「方法論」はすべて「客人に心を込めておもてなしをする」という目的のためにあるのです。しかし、先ほども述べたように、ほとんどの日本人は「茶道」というものの目的と方法をごちゃ混ぜにして考えてしまっているのです。

スポーツにおける「道」にも同じことが言えます。

「野球道」や「相撲道」を掲げて、心身を厳しく鍛錬する。指導的立場にいる人が、自らの経験や外部の知見に基づいて独自の指導法を構築していくこと自体は素晴らしいことだと思いますが、一般に定義されていない「道」を振りかざして、選手や教え子を抑え込むことはあってはならないと、僕は考えます。

「道」を使うのであればまず「定義」すること。辻褄の合わない「道」、都合よく変貌する「道」は、個人の道でしかありません。

たとえば柔道は、明治時代に嘉納治五郎がそれまでの柔術を独自に理論化し、「精力善用」「自他共栄」を理念とした「講道館柔道」を始めました。剣道は全日本剣道連盟が「日本の武士が剣(日本刀)を使った戦いを通じ、剣の理法を自得するために歩む道」と定義しています。武道は、明治から大正にかけての政治家・西久保弘道が、戦闘的要素が強かった武術から、心身鍛錬や教育的効用を重んじて名称を変更したものです。

▽本記事は安田秀一著『「方法論」より「目的論」「それって意味ありますか?」からはじめよう』より、一部抜粋して構成されています(予約受付中)。
序章    「そもそも、それって意味あるんですか?」に立ち戻る
第一章    強烈な目的意識が「スーパー日本人」をつくる
第二章    なぜ一流のビジネスパーソンは筋トレやマラソンをするのか
~個人の目的論~
第三章    「なぜそれをやるのか」を知っているチームは強い
~組織の目的論~
第四章    「戦後復興フォーメーション」からの脱却
~日本の目的論~
第五章    「成功」よりも「幸せ」を選ぶ生き方 ~人生の目的論~

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