「東京信仰」へと突き進んだ戦後の日本 開いてしまった「神様」との距離

今こそ知りたい! 「方法論」より「目的論」(7)
問題を解決しようとがんばっているけれど、自分が少しかわいいゆえに、その場しのぎの決断を繰り返す――そうして本来の「目的」を見失い、「方法論」ばかりに目を向けるこの国のリーダーたち。一方、一流アスリートたちは、「なぜ?」「どうして?」を繰り返し掘り下げて、正しい戦略のもとに正しい努力を積み上げて成功を収めている。
スポーツアパレル「アンダーアーマー」の日本総代理店・株式会社ドーム代表取締役CEO・安田秀一著『「方法論」より「目的論」「それって意味ありますか?」からはじめよう』より注目の章を短期連載!

地方に人材や産業があった時代

こうしてスポーツでも明確になっている「都市部と地方のゆがみ」を、僕たちはどう解決していけばいいのでしょうか。

Photo by iStock

病気の治療でいうのなら、先ほどの甲子園改革と同じで、対症療法ではいつまでも状況は改善しません。ということは、病気の原因をしっかりと見極めて、根本的に治療をするという「根治療法」が必要なのは明確です。そこでまずは、なぜ日本にここまで「都市部と地方のゆがみ」が生じてしまったのかを考えていきましょう。

歴史の専門家に言わせると、地方と大都市の格差、東京一極集中というのは近代からはじまったそうです。

 

徳川家康が幕府を開いて江戸時代となり、江戸を中心とした中央集権体制が敷かれました。しかし、江戸時代は参勤交代などで中央集権を進める一方で、地方も力を蓄えることができた時代でもありました。

たしかに、幕府は江戸にあって強力な権限を持ちましたが、地方の自治は各藩の責任のもとで行われていたのです。独立した国々を徳川が束ねるという、いわば「合衆国」のような国家だったと考えていいかもしれません。

しかし、これが明治維新によって大きく変わっていきます。西洋列強に追いつくため、「富国強兵」を掲げた日本政府は、日本中から優秀な人材を首都・東京に集めました。そのあたりは、明治政府の中心的役割を果たした伊藤博文や大久保利通、西郷隆盛、木戸孝允ら、ほとんどが薩摩藩や長州藩などの地方出身者だということが雄弁に物語っています。

このような東京集中を進める一方で、政府は廃藩置県によって、旧藩から地方自治の権限を奪い、中央から派遣された官吏が、中央の政策に基づいた地方政策を進めていきました。

つまり、このタイミングで日本は「合衆国」からひとつの「中央集権国家」に変わっていくのです。ここから東京は首都として政治、経済、文化の中心となり、他を寄せ付けない圧倒的な強者となっていくのです。

関連記事

ABJ mark

ABJマークは、この電子書店・電子書籍配信サービスが、著作権者からコンテンツ使用許諾を得た正規版配信サービスであることを示す登録商標 (登録番号 第6091713号) です。 ABJマークについて、詳しくはこちらを御覧ください。https://aebs.or.jp/