「教える」のではなく親もいっしょに「考える」

それを聞いて、絵本のなかの別の一文と、過去の性にまつわるモヤモヤした経験がふと浮かんだ。

―からだのとくべつだいじなところは かぞくでもともだちでもせんせいでも じろじろみたり かってにさわったりしない しゃしんやどうがをとったりしない―

母がアルバムにお風呂あがりの裸の私の写真を貼ったとき、子ども心に今すぐはがして破り捨てたいと思ったこと。小学校の高学年になっても平気なふりをして父親とお風呂に入っていたけれど、実はすごく嫌だと話す友達がいたこと……。

家庭内で起こった性的なイヤな気持ちは、家族だからこそ素直に言えないものなのだ。子どもは親には悪意などなく、逆に愛情表現のつもりなんだと知っているから。でももし親子で「家族間でも、自分が嫌なら嫌と言っていい」という共通認識があったら、ためらわずに私も友達も自分の気持ちを伝えられただろう。

これは子どもだけに限らない。出産時、実の親や夫の親に強引に分娩室で立ち会われたり、公開授乳ショーを強制されて深く傷つく母親は少なくない。たとえ親子でも「NO!」と言ってもいいという認識が双方にあれば、こうした性に関する近しい間での感情のすれ違いは起こらなくなるのではないか。家族の間でも「性的同意」は、とても大切な考え方だったのだ。

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「子どもに対する性暴力が社会的にも大きな問題として注視されている今、性についてきちんと考え、正しい知識を持つことは子どもにも大人にも必要です。『性教育』というとハードルが上がって、家庭で話すのは気が引けてしまう方もいます。まずは、難しく考えず、『だいじだいじ』と声がけしつつ、この絵本をそれぞれの家のコミュニケーションのなかでの性についての会話のきっかけにしていただけると嬉しいです」(遠見さん)

必要以上にリスクを強調して脅さなくても、生々しい言葉で詳細に解説しなくても、性への意識は深められる。子ども向けの絵本だが、実は子どもよりも先に読んだほうがいいのは、「プライベートパーツを尊重すること」を知らない大人世代なのかもしれない