声をあげないと、「差別」と認識されない

今回のサッカー選手の件は、15年前のフランスなら話題にもならなかったはずです。これを今や複数のフランスメディアが差別として批判的に取り上げるようになったのは、アジア人のステレオタイプ化が長年差別とみなされず放置された挙句、アジア人を狙った暴力・殺人にエスカレートするまでになりはじめた状況を重く見たフランスの中華コミュニティがついに立ち上がり、近年、街頭デモなどフランス社会で通用する「フランス式の方法」を通してアジア人差別に抗議を重ねて社会を変えてきたからです。

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差別は言葉だけとはかぎりませんし、多くは揶揄やユーモアのかたちをとりますし、「尻尾をつかませないようにやる」のが常套手段ですから、何が差別か瞬時に判断し反応するのはそう簡単ではありません。セクハラや痴漢を含む性犯罪と同じで、自分のおかれたシチュエーションによっては声をあげるのが難しいことも多いでしょう。

声をあげられないことは恥ではありません。恥ずかしいのは差別をする人です。ただ、声をあげないと、いつまでも「差別」だと認識してもらえないのです。

サッカーフランス代表の一件で、フランス在住の著名な日本人が「酷い悪口ではあるが人種差別ではない」といったツイートをしたことが話題になりましたが、勇気を振り絞って声をあげた人たち(わたしたちのために声をあげて状況をかえていってくれる人たち)を「たしなめ」たりするような行為は避けたいものです。