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「中動態」っていったい何?話題の哲学者・國分功一郎の思想を読み解く

「意志」への過剰な期待を緩和する哲学
『暇と退屈の倫理学』『中動態の世界』で一躍有名になった哲学者・國分功一郎。「中動態」という古典ギリシア語の文法用語を用いて、人間の意志や責任を問う彼の思想の狙いは、どのようなものなのだろうか。日本哲学の最前線で活躍する6人の哲学者の思想を独自の切り口から概観した新刊『日本哲学の最前線』から、哲学者山口尚さんによる『中動態の世界』の解説の一部をお送りする。

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言語による思考の束縛

『中動態の世界』のひとつの目標は「意志」という概念の批判である。とはいえこの本の射程はもう少し広い。なぜなら同書は、私たちは言葉の枠組みに縛られがちだ、という根本的事態も指摘するからである。

じつに私たちは言葉を通してものを考えるのだが、その結果、言語の枠組みは私たちの思考を束縛しうる。《言語は思考を可能にするものであると同時にそれを縛るものでもある》という点に自覚的であるべし!――これが『中動態の世界』の究極的な主張のひとつである。

 

探求の動機は実践的

『中動態の世界』の出発点は(國分の経験にもとづいた)架空のインタビューである。そこでは依存症に陥ったひとの支援に携わるインタビュイーが「しっかりとした意志をもって、努力して、『もう二度とクスリはやらないようにする』って思ってるとやめられない」と述べ、次のように話が進む。

――そこがとても理解が難しいです。アルコールをやめる、クスリをやめるというのは、やはり自分がそれをやめるってことだから、やめようって思わないとダメなんじゃないですか?
「本人がやめたいって気持ちをもつことは大切だけど、たとえば、刑務所なんかの講習会とかに呼ばれるじゃない? クスリで捕まった女性の前で話すんだけど、話が終わった後で、刑務官の女の人が『みなさん、分かりましたか。一生懸命に努力すれば薬やアルコールはやめられます。あなたたちもしっかり努力しなさい』なんてまとめをされて、『ああ、私が一時間話したことは何だったの』とかなる」

インタビュイーは、依存症について「やめようと意志すれば止められる(止められないのは意志が足りないからだ)」などとは言えない、とみなに分かってもらいたいのだが、どうもそれは理解されない。むしろ自分の言いたいのとは異なる仕方で解されてしまう。こうしたやりとりにおいてインタビュイーは或る種の「言葉の壁」に直面している。

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たしかに、アルコールや薬物を止めるには当人の意志が重要だ、という考えは道理に適っているように見える。酒を飲んだりクスリをやったりするのは誰か――それは当人に他ならない。それゆえ、《本人がそれを止めようとするかどうか》が核心的であり、そのひとが止めようと意志することが回復の第一歩だ。――これはきわめて明快な議論である。

國分が『中動態の世界』で目指すことのひとつはこうした議論を退けることである。なぜなら「やめようと意志すれば止められる(止められないのは意志が足りないからだ)」という言い回しは依存症に陥るひとのリアリティにそぐわないから。

「依存症者」の多くは、もう二度としないと誓いながら、自らを制御できず繰り返してしまう。こんな場合に「しっかり意志しろ!」と責めることは或る意味で的外れであり、同時に依存症に苦しむ当人の煩悶の増大につながりうる。前々段落の「明快な」議論は、理論的にも実践的にも、瑕疵があると言わざるをえない。

では國分はこの議論をどのようなやり方で退けるのか。それは、この議論が無意識的に前提している言語的な枠組みの批判によって、である。

例えば「酒を飲んでひとに迷惑をかけるのは誰か」という問いへ「Aさんだ」と答えられるとき、私たちはAさんを「行為主体」と見なす。あるいは「Aさんが飲む」と言われるとき、Aさんは主語の位置に立って〈飲む〉という行為を支配していると解される――それゆえ飲むか飲まないかはAさん次第だ。

これは分かりやすい言葉づかいであり、これに従うと、酒を飲む主体たるAさんはその行為をコントロールしていることになる。

だがこうした語り方は必然的なものだろうか。他の道はないのだろうか。國分は「ある」と言う。それはAさんを必ずしも「行為主体」と見なさないような古層の文法枠組みである。

以下、言語の古層へ迫る國分の議論を追っていくが、彼の探求の動機が実践的だ――すなわち依存症に陥ったひとのリアリティをより的確に捉え、それによって私たちが共に生きることを支えるような言葉の枠組みを得たい――という点は強調しておきたい。

この哲学者の考えは決して〈理論のための理論〉ではなく、それはつねに何かしらの実践的含意を意図している。この点には後でふたたび立ち返ることになるだろう。
 

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