ゼロから設計したレコードプレーヤーが話題! “研究開発型町工場”がすごい!

3代目社長に聞くモノづくりの未来形
リケラボ プロフィール

一時は倒産の危機にあった家業を継ぎ、V字回復

——大坪社長は3代目ということですが、由紀精密を継ぐまでにはどんな経緯があったのでしょう。

祖父が1950年に興した由紀精密は、もともとは電気・電子関連のねじなどの製造から始まり、父の代では公衆電話の金属部品などを手掛けていました。でも時代の変化と共に、そうした下請けの仕事は減っていきました。

私は大学院を卒業して、当時花形だった携帯電話の試作金型を製造するベンチャー企業に入社しました。世界最高速の金型工場を立ち上げたり、ファンドを設立してM&A含め外部企業のコンサルティングを手掛けたり、幅広い仕事をさせてもらっていました。入社時は100名だった社員が6年半いるうちに2000人を超える規模になりました。

一方、実家を見ると経営状況は良くありません。親の健康問題もあって、経営の立て直しをするために由紀精密に戻ったのが始まりでした。

——もともと家業を継ぐおつもりだったのでしょうか?

継ぐことは求められていなかったのであまり意識していませんでした。当時会社で大きなプロジェクトに関わっていたこともあって辞めるのは難しく、継ぐためではなく、立て直し役として常務取締役として着任しました。3年程度で立て直して、その後はまた会社に戻ってもいいし、別のキャリアを築くことも考えていましたね。

でもいざ戻ってみると中小企業の改善はとても大変で、長期的に腰を据えてプランを作る必要があるとわかったんです。社員のことも家族のように思えてきました。それで、2013年39歳の時に家業に専念することにしました。

——その後業績はV字回復、いまでは売り上げが当時の4倍以上に成長されたそうですね。成功ポイントは何だったのでしょうか。

自社の技術の強みを再認識したうえで、それを軸にしつつも、航空や宇宙、医療など新たなマーケットに仕事を広げていったことですね。そして、下請けではなく研究開発型企業に変えていったこと。これによって、主体的にモノづくりができるようになり、付加価値の高い製品を提供できるようになりました。

——そうはいっても新しい分野に参入するのは、とても大変ですよね。

まず、知ってもらうことが重要です。日本の製造中小企業は高い技術を持っていても、マーケティングやアピールをうまくできていないところが多いと思います。由紀精密もそうでした。

前職ではデザイン部門が社内にあり、クリエイティブも大切にしていたことから、私は見た目こそ重要だと学んでいました。だからデザイナーを雇って、企業ロゴをはじめ、ホームページなど人の目に触れるものはすべて新しくしました。大手メーカーのように広報部を置き、自分たちで設計し製造したものを、世の中に発表して話題になるところまでをセットでできる体制にしました。あと、参入したい分野の展示会にも積極的に参加しましたね。

——先ほど話に出たコマも、アナログプレーヤーも、話題になることで技術を効果的にアピールしていますね!

知ってもらうことにこだわることで、技術に目を留めてくれる人が増え、新たな用途が見つかったり、仕事の依頼につながっていきます。

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