ついに決定! 第37回講談社科学出版賞受賞作は『脳を司る「脳」』

いま、「ニューロン以外の脳」が注目される理由
毛内 拡 プロフィール

人生観が変わるほどの衝撃

私が脳の研究者を目指したのは、高校生の頃のこんな体験がきっかけでした。

当時、所属していたボランティアクラブの活動の一環で、特別支援学校の運動会に参加する機会がありました。同年代のいわゆる重度知的障害と診断された生徒さんとチームを組んで、一日一緒に運動会を楽しむという企画でした。

正直に申し上げると、参加する前は偏見があり「知的障害者と自分は全然違うものだ」と思っておりました。ところが実際に参加してみると、走る・跳ねるなどの運動機能はもとより、勝てば嬉しいし、負ければ悔しいし、お昼になればお腹が空くし、トイレに行きたくなるし……と、基本的なところは何一つ自分と変わらないことに気が付きました。

【写真】自分と変わらないことに気づいた基本的には自分と変わらないことに気付かされた photo by gettyimages

偏見を持っていた自分を恥じるとともに、言葉は悪いかもしれませんが、知的障害者の方と自分とは紙一重の違いでしかないということに非常に衝撃を受けました。大袈裟ではなく、実際に人生観や人間観が変わるようなショックを受けたのです。

研究者を目指す決め手となった1冊

それからというもの、人間とはなんだろう、知性とはなんだろうということに疑問を持ち、さまざまな書物に答えを探しました。休み時間や放課後は、ほとんど図書館の哲学コーナーに捧げたと言っても過言ではありません。ところが、いくら本を読んでも自分が知りたい答えは見つかりませんでした。

分かったことは、もし答えがあるとしたらそれは"脳"の中にあるに違いない、答えがないのだとしたら自分自身でその謎を解き明かしたい、ということでした。

その当時、「脳科学ブーム」という言葉が流行していました。高校生だった私ももれなく、その火付け役である養老孟司さんの『唯脳論』(青土社, 1989年〈ちくま学芸文庫, 1998年〉)などの著書を読み、脳科学に興味を持ったのです。

また、私が研究者になろうと決定づけた1冊は、ノーベル賞受賞者の利根川進さんと先日残念ながら亡くなられた立花隆さんの『精神と物質』(文藝春秋, 1990年)でした。脳科学ブーム以来、「脳と心」は世の中の関心事として広く受け入れられ、「脳科学」という言葉が市民権を得てきました。私自身、自分のことをもっとより理解したい、脳のことがもっと知りたい、という思いで脳の研究者を志しました。

20年で脳科学はどれほど進歩したか

それから20年の間に、脳の理解はどれほど進んだのでしょうか。

少なくとも、脳が心と体の健康に密接に関わっているということは、広く知られてきています。

我が国では他の国に類を見ない超高齢化社会に突入しており、体の健康寿命が伸びている一方で、脳や心をいかに若々しく健康に保ち、心身ともに元気に暮らすかが重要な関心事となっています。アルツハイマー病に関する新薬が世間を賑わせ、脳の健康に関する話題をメディアで見聞きしない日はないというのがその証拠です。

さらに、本書のプロローグでご紹介した通り、ここ数年で、脳の蘇生や人工ミニ脳などの生命科学領域や、人工知能や脳とコンピューターを接続する試みなどの先端科学技術に関する発展は目覚ましいものがあります。

私は、もはや人類は超えてはいけない一線を越えようとしているのではないかと危機感を覚えているほどです。このような状況で、将来、人工知能に仕事を奪われない職業はなんだろうとか、真の人間らしさや人間らしい生き方とはなんだろう、と考える機会が確実に増えたのではないでしょうか。

【写真】人工脳細胞!?脳に関する先端科学技術の発展は目覚ましいが、危機感も覚える photo by gettyimages

心の働きを担う脳のしくみ

このような繊細で複雑な心の働きは、脳が司っていると考えられています。しかしながら、心の働きを担う脳のしくみは未だ完全には理解されていません。

脳細胞や脳内物質の働きのことを研究する分野は、神経科学と呼ばれています。ところが、いわゆる脳科学として一般的に知られている人間の行動などを説明する知見と、神経科学として理解されていることの間には、大きな隔たりがあります。

つまり、人間の心理や行動のメカニズムを、神経科学は十分に説明することができていないのです。

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