〔PHOTO〕iStock

19歳女性を惨殺し、皮を剥ぐ…凄惨すぎる「陰獣事件」犯人の「信じられない行動」

まるで「死神」だった

1932年2月8日、愛知県名古屋市のある村の小屋で首のない女性の遺体が発見された。遺体は吉田ます江(19歳)のものだった。警察は、ます江が通っていた裁縫教室の主人である増淵倉吉を指名手配。徐々に増淵の人物像、ます江との関係が明らかになってきた。

真面目な菓子職人

事件が地元紙に大きく報道されるにつれ、容疑者である「増淵倉吉」がどういう人物であったのか、詳細な記事も掲載されるようになった。

2月10日発行の名古屋新聞によると、増淵は群馬県出身で、上京後に菓子店を開いていたが、関東大震災(1923年)の影響で、店を失い大阪へと転居。だが、大阪の水は増淵には合わなかったようで、しばらくして名古屋へと流れ着いた。

関東大震災後の東京の街〔PHOTO〕Gettyimages
 

増淵は菓子店を開いていた経験をいかし、まんじゅう工場へ工場長として勤めていたが、生活は厳しく、近所に裁縫教室を開き、自身の妻を講師役とした。やっと生活が安定したのも束の間、その日々は長くは続くかなかった。増淵の妻は裁縫教室オープンから6年後に病気で亡くなってしまったのだ。

再び失意のどん底に叩き落された増淵は、一時自棄(やけ)を起こしまんじゅう工場を辞めてしまうも、今後のことを尋ねられると「また菓子店を出したい」と友人に熱く語っていたという。

以上のことからわかる通り、彼は仕事を愛する非常に真面目な人物であったようだ。そのため古くから増淵のことを知る友人達は「彼が殺人だなんて信じられない」「何かの間違いではないか」と口を揃えてたという。

編集部からのお知らせ!

関連記事

ABJ mark

ABJマークは、この電子書店・電子書籍配信サービスが、著作権者からコンテンツ使用許諾を得た正規版配信サービスであることを示す登録商標 (登録番号 第6091713号) です。 ABJマークについて、詳しくはこちらを御覧ください。https://aebs.or.jp/