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香港は一体誰のものか? 中国返還からの24年を振り返って見える答え

崩れゆく「一国二制度」(前編)
「区議会議員が『爆辞め』現象」――7月10日、香港紙『明報』は、2019年11月に区議会議員選挙で当選を果たした民主派議員389人のうち、この2日間で153人もが辞職したと報じた。さらに辞職議員は増える見込みだという。「香港は一体誰のものか?」――2週にわたりレポートする。

中国返還から24年

香港は一体誰のものか? 最近、よくこの問いを反芻してみる。何度も自問しないと、自分の立ち位置が、はっきり分からなくなってしまうからだ。

日本の知人と香港の話をしていて、たびたび聞くのは、次のようなセリフだ。

「昔の香港はよかった。でも最近の香港は変わってしまって、とても悲しい」

ここで言う「昔の香港」とは、賑やかでゴチャゴチャしていて、ショッピング天国で、中華圏で群を抜いて料理が美味しくて、英語が通じて、100万ドルの夜景も美しかったというイメージだ。

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こうした中高年世代の日本人が考えがちな「旧き良き香港」は、1997年に中国に返還される前の香港の風景だろう。私も1990年代の初頭から、香港にはずいぶんと通い詰めたので、日本人が言う「原風景」は理解できる。

だが現実として、香港は日本人のものではない。

正確に言えば、1941年12月に日本が太平洋戦争を起こし、1945年8月に敗戦するまでの4年8ヵ月ほどだけは、日本が占領していた。しかしながらこの時期の香港は、1997年の返還前から、明確に否定されてきた。イギリスの植民地だったので、当然と言えば当然だが、かつて九龍半島の山を越えた「沙田」(シャーティエン)にあった香港歴史博物館(現・香港文化博物館)の展示では、「最悪の4年8ヵ月」と描かれていた。

〈 日本軍が真珠湾攻撃を行い(12月7日)、24時間後、イギリスの戦艦『プリンス・オブ・ウェールズ』と巡洋艦『レパルス』を撃沈させた。チャーチル首相の回顧録では、この一報を受けて震撼した心情を綴っている。『すべてのこの戦争の中で、これほどの衝撃を受けたことはない……』〉

では香港は、イギリスのものか?

イギリスが、要衝地としての香港を見出し、そこに手を突っ込んできたのは、1840年のアヘン戦争以来である。1842年の南京条約で香港島を割譲。1856年のアロー戦争によって、1860年の北京条約で九龍半島を割譲。さらに1898年には、新界地域も99年間租借した。こうして、日本時代の4年8ヵ月を除いて、延々と1997年まで植民地にしてきたのだ。

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だが、1997年7月1日、新界の「99年の租借期限」が切れて、イギリスは香港島、九龍半島も含めて中国に返還した。本当は返したくなかったようだが、1984年の鄧小平軍事委主席とマーガレット・サッチャー首相の中英首脳会談後、中英共同声明で返還すると発表したのだ。

鄧小平は「香港すべてを返還しないならば、1997年7月1日に即日、人民解放軍を送り込んで戦争によって取り戻す」とすごんだ。対するサッチャーは、「それなら一定期間、イギリスの制度を保証しろ」と返した。こうして、「香港特別行政区では、社会主義制度と政策を実施せず、現行の資本主義制度と生活方式を50年間維持する」(中英共同声明第3条12項、香港基本法第5条)という規定が生まれたのだ。

 

だが、鄧小平が香港に「一国二制度」を施した本当の理由は、サッチャーに迫られたからではなかった。「台湾に見本を示すため」だ。1981年から台湾に対して「一国二制度による統一」を呼びかけてきたが、蒋経国政権は無視し続けた。そこで、「『一国二制度』の成功例」を台湾に見せつけることで、祖国統一に役立てようとしたのだ。

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