2001年9月11日に起きたアメリカ同時多発テロ事件から、20年が経とうとしている。飛行機が、多くの人が勤務する高層ビルに突入するという信じられない出来事が起きた。その後の発表で、日本人24名を含む3000人もの方が亡くなられ、6000人もの方々がけがを負ったとされている。

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しかし、高層ビル2棟が崩落するという混乱を極めた状況の中、行方不明の方も多くいた。2回目に飛行機が突入したサウスタワー80階に勤務していた杉山陽一さんもその一人だ。妻の晴美さんは、3歳と1歳の息子に加え、お腹に赤ちゃんがいる状況でこの悲劇にみまわれた。捜索に走り回っている矢先、晴美さんは出血し、切迫流産で絶対安静を言いわたされる。夫は生きていると信じたい思いと、もし亡くなっているのなら早く安らかにしてあげたいという思いが同居する中、10月には勤務先やNYが主催の「追悼ミサ」が行われる。そして12月には退職扱いとならざるを得ない現実に直面した。

20年のことを、晴美さんが自身の著書『天に昇った命、地に舞い降りた命』と書下ろしにより伝えていく連載の5回目は、「退職となる=死を認める」という状況の中、子供たちへどう伝えていくかという大きな問題をお伝えする。

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どうやって生きていこうか

【12月】

ニュージャージーの冬は厳しい。去年はこちらに移り住むと、すぐにこの厳しさを実感させられたものだった。けれど、今年はこの気候よりもっと厳しい現実のなかにいる。寒さをやりすごすとか、そんなことよりまず、どうやって生きていこうかと、そんなことに気をもむ毎日である。

事件後すぐに家族がアメリカ入りをした。皆とるものもとりあえずやってきた。わたしの母も同様であった。その時は、落ち着いたら日本に戻るつもりで半袖のワンピース姿で飛行機に乗り込んだ母であったが、彼女はみごとに足止めをくらった。

わたしの入院、絶対安静さわぎのせいである。家事や育児もできるだけしないようにとの医師の指示のため、わたしは寝たきりに。その間、どうしても手が足りない。半袖では凍えるこの季節まで、母は我が家に滞在した。高齢の母にしてみれば、アメリカでの生活というのもストレスフルなものであっただろう。

けれど、幼い子供たちにとっては、「ばあば」はかけがえのない精神安定剤となった。異常事態発生のなか、なんとか子供たちが明るく楽しく過ごせたのは、母のがんばりが大きいのは言うまでもない。

ただそうは言っても、太一は父親の巻き込まれた事件を認識しているだけに、慎重に扱わねばならない。