2021.08.16

戦艦大和に対して、山本五十六が下した「意外な評価」…「名将」が見せた二面性

「床の間の置き物」としては有用か?
1945年4月7日、沖縄戦へと向かう途中だった戦艦大和は、アメリカ軍の攻撃を受けて沈没した。「大艦巨砲主義」の象徴として批判されることもある大和について、「名将」と言われた山本五十六はどのように考えていたのだろうか? 『「太平洋の巨鷲」山本五十六』から彼の評価を紹介するが、その前に海軍の官僚主義が露わになった「空軍」創設に関する議論を取り上げたい。
 

各国で空軍独立が進む

航空本部長時代の山本の功績として知られるのは、航空機産業の調整に努力し、大量生産体制を整えるのに奮闘したことであろう。そうした働きをみれば、山本がすっかり航空主兵論に転向し、また、総力戦に向けた航空戦力整備の必要も理解していたと思われるかもしれない。それ自体は間違いではなかろう。

山本五十六[Photo by gettyimages]

だが、では、山本が組織防衛上の配慮や大艦巨砲主義を唱える海軍主流派への忖度から完全に自由であったか。おそらく、そう断じてしまえば、真実からは遠ざかることになる。

そのような山本の不徹底さに関する一つの証左となるのは、空軍独立論をめぐる彼の動きである。第一次世界大戦後、列強のあいだに、陸海軍にそれぞれ附随する航空隊ではなく、第三の軍種として空軍を独立させる動きが目立つようになっていた。1918(大正7)年にイギリス、1923(大正12)年にはイタリアが独立空軍を創設した。

こうした流れを受けて、実は日本でも、1920(大正9)年に設置された「陸海軍航空委員会」で、独立空軍の設置が検討されていたのだが、時期尚早として沙汰止みになっていたのである。それが、1935(昭和10)年にドイツが再軍備宣言とともに空軍を発足させるのをみて、再び議論の対象となった。

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