1964年東京五輪の開会式で「ブルーインパルス」を指揮した元「紫電改」の戦闘機乗り

「三四三空」の実像を追う・第2回前編
神立 尚紀 プロフィール

スネーク・フォーメーション

立ち上がりこそ、正々堂々の隊形による大編隊での戦闘ではじまったこの日の戦いも、しまいには大乱戦になっていった。三四三空の紫電改、紫電は敵襲の合間を見て着陸、燃料と弾薬を搭載して、ふたたび飛び上がっていった。

山田の編隊3機も、午前8時にいったん着陸、列機2機がエンジンのオイル漏れをきたしたため、山田機だけが再発進する。

 

「松山の飛行場上空に、敵機の2機編隊がチラッチラッと見える。逃げるとかえって見つかるから、敵機の腹の下を飛んでスピードをつけ、中国山脈上空で高度をとった。途中、戦闘七〇一の指宿(いぶすき)成信飛曹長の紫電改を見つけ、合流して2機でふたたび瀬戸内海を南下、松山上空の敵機を求めて飛びました。

すると、今治市の沖で、呉軍港空襲から帰投中と思われる米軍戦闘機を発見、これに後方から攻撃をかけたんです。

敵機は、ボートシコルスキーF4Uコルセアの8機編隊で、これが奇妙な編隊を組んでいたんですね。どういう格好かというと、2機ずつの編隊が4つ、高度差を100メートルぐらいとって、段々と、後ろにいくほど高度を下げた隊形で飛んでいる。このときはそんな知識はありませんでしたが、あとから勉強すると、これはスネーク・フォーメーション(Snake formation)という隊形なんです。

すなわち、蛇のように、頭を撃てば尾があがり、尾を撃てば頭が上がり、真ん中を撃てば頭と尾が同時に反撃してくる、柔軟で攻めにくい隊形です。

いちばん低い最後尾の1機をねらって、50メートルまで接近したときには、先頭の2機が右へ旋回を始めていました。1機だけを仕留めようと射弾を浴びせたら、紫電の20ミリ機銃が2挺(ちょう)とも故障、7.7ミリ機銃の、豆を炒るような頼りない射撃で、命中しているのは見えるんですが、敵機はびくともしない。オーバーシュート気味になり、右旋回でかわしました。ほんとうはこのとき、敵の一番機と反対方向の左に旋回すべきだったんですが――。

たちまち敵編隊先頭の2機に追いかけられ、松山基地の対空砲火の助けを借りようと松山上空を全速で通り抜けましたが、地上砲火は撃ってこない。F4Uのほうが速度が速いとみえ、松山基地の隊員たちが見守るなかで、たっぷり7分間、実弾つきの空戦訓練を受けるような羽目になりました。2機ずつ交互に攻撃してくるので、反撃する機会は一度もなかったですね。敵ながらみごとな編隊空戰でした。

攻撃を受けてるあいだじゅう、ぼくはフットバーを踏んで(方向舵を操作して)機体を滑らせ続けていました。そうすると、機首の向いてる方向と機体が飛ぶ方向がちがうので、まず敵弾は当たらない。ところが高度が下がってきて、これ以上、同じことを繰り返していると海面に激突する、というときに急反転しようと一瞬、滑らすのを止めたら、とたんにカンカーンと被弾した。

そのとき、敵機とすれ違いになったから、そこでマフラーを振ったら、向こうも手を振った。というのは、彼らも呉を攻撃しての帰りで、いわば余計な空戦をやったわけだから、母艦に帰る燃料に不安があったんでしょう。攻撃するのをやめて、帰っていきました。

着陸して機から降り、落下傘をかついだまま、源田司令のいる指揮所へ報告に向かったとき、冷たい汗が流れているのにはじめて気がついた。これがほんとうの冷や汗だな、と思いました」

米戦闘機・ボートシコルスキー(チャンスボート)F4Uコルセア。

のちに山田は、航空自衛隊で、F-86F戦闘機を使い、このときの米戦闘機の戦法「Snake formation」を徹底的に研究したという。

この日、地上で指揮をとった飛行長・志賀淑雄少佐は、この日の山田大尉のことを、

「紫電なんてだれも乗りたがらない戦闘機で、彼は喜んで飛んでくれた。偉い男だ、と思いました。最後に敵に追われて松山基地上空に帰ってきたとき、彼のうしろについていた敵機を、地上砲火で撃墜したと記憶しています」

と回想している。

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