〔PHOTO〕gettyimages

1964年東京五輪の開会式で「ブルーインパルス」を指揮した元「紫電改」の戦闘機乗り

「三四三空」の実像を追う・第2回前編
太平洋戦争末期、新鋭機「紫電改(しでんかい)」を主力機として、日本本土に押し寄せる米軍機を迎え撃った航空隊があった。司令・源田實(げんだ みのる)大佐が率いる第三四三海軍航空隊(剣部隊)である。
その活躍は戦後、映画や漫画などさまざまな媒体で描かれ、戦史に興味を持つ人たちの間で高い人気を誇ってきた。近年では漫画やアニメの影響か、従来とはまた違った形で、若い世代にファン層を広げている。
人々はなぜ三四三空に惹かれるのか、筆者の四半世紀にわたる当事者へのインタビューをもとに考察するシリーズの第2回は、中堅の指揮官として終戦まで戦い、戦後は航空自衛隊で、昭和の東京オリンピック開会式の日、上空に五輪の輪を描いたブルーインパルスを地上から指揮した山田良市大尉と、義兄でもある隊長・鴛淵孝大尉の話である。
(第1回はこちら→<若者を魅了する「三四三空」。率いた源田司令は「名参謀」か、それとも……。>
 

五輪の輪を描いたブルーインパルス

コロナ禍で1年延期された上に、感染拡大への懸念から開催の是非さえ問われた東京オリンピックも、ほとんどの会場で無観客として開催される道筋が見えてきた。開会式では、昭和39(1964)年の東京五輪開会式のときと同様、航空自衛隊のブルーインパルスが上空を飛行する。

1964年東京オリンピックの際にブルーインパルスが描いた五輪。[PHOTO]gettyimages

いまから57年前に開催された「昭和の東京オリンピック」。開会式の国立競技場上空で、みごとな五輪の輪を描いたブルーインパルスの妙技は、敗戦国・日本がふたたび世界の表舞台に立った「平和の祭典」を象徴する場面として知られている。そしてその陰には、かつての「紫電改」部隊、第三四三海軍航空隊の関係者2人の力があった。

その1人は、元三四三空司令で、戦後は航空幕僚長をつとめた源田實(げんだ みのる)参議院議員。もう1人は、三四三空戦闘第七〇一飛行隊分隊長で、オリンピック当時は航空幕僚監部教育課飛行教育班長をつとめていた山田良市二等空佐(のち航空幕僚長)である。

オリンピックの開会式にブルーインパルスを飛ばせることは、自らも昭和のはじめ、日本初の編隊アクロバット飛行チーム「源田サーカス」のリーダーをつとめた源田議員の悲願だった。源田は、これをオリンピック実行委員会に提案、実施することが決まると、じっさいの飛行にあたっての地上指揮官には山田二佐があたることになった。

「ブルーインパルスは当時、浜松基地にいて、浜松に関係があるのは教育課、しかもぼくは、その前に浜松でブルーインパルスの飛行隊長をやっていましたから。源田さんも、ブルーインパルスとなるとぼくが出てくることは承知の上で提案されたんでしょう」

と、山田は回想する。「地上指揮官」というのは、国立競技場の天皇陛下の天覧席の斜め後ろに設置された箱型の通信室に1人で入り、天候や会場の進行状況もにらみながら、無線で飛行機に指示を飛ばす役目である。

「このときは非常にうまくいきました。飛行機が予定より5秒遅れて入ってきたんです。この5秒が、絶妙の間合いだった。天皇陛下が飛行機のほうをチラッと見られたんですね。それで皇后陛下に、『ほらほら、あっちだ』とおっしゃって。それで、きれいにスーッと5色の輪を描いた。

訓練中は、あれほどきれいに描けたことはなかったんだそうですよ。大気の状態も良かったんでしょうね、しばらく消えずに残っていました」

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