2001年9月11日に起きたアメリカ同時多発テロ。飛行機が勤務するビルに突入してしまった杉山陽一さんの妻・晴美さんが、20年前を忘れてはならない思いで綴る連載「あの日から20年」。

その4回目の前編では、愛する家族がアメリカ同時多発テロに巻き込まれ、行方不明のまま行われた銀行主催の「追悼ミサ」が開催された日のことをお伝えした。炭疽菌で再びテロの恐怖にも直面した晴美さん。後編では、テロ当日からひと月経ち、銀行もニューヨークの街も前に進もうとするなかでの様々な現実に直面したときのことをお送りする。

2001年の夏、プールで子供たちを遊ばせる杉山陽一さん 写真提供/杉山晴美
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ニューヨーク市主催メモリアルサービス

【10月28日】

ニューヨーク市のメモリアルサービスの正式な案内状が、ジュリアーニ市長の名前で送られてきた。夫の両親とわたしの3名で、その式に参加した。場所はワールド・トレード・センター・ビルの事故現場の脇にある通り、チャーチ・ストリート。ここに細長く座席をおき、式は行われた。

NYのグラウンド・ゼロ開催された追悼式には、ヒラリー・クリントンさんの姿も Photo by Getty Images

わたしの座った席は、実際に式が進行するステージよりだいぶ後方。大きな電光掲示板に映る画面を見ながらの参加となった。すぐとなりにはワールド・トレード・センター・ビル崩壊にともなって焼け落ち、朽ち果てたビルの残骸がむなしく姿をさらしている。それだけでもなにか普通でない……いまだかつて体験したことのない異様な式典だった。

その座席につくまで、実際に瓦礫の山となった事故現場も通った。そしていまもたちこめる、これまでかいだことのない異臭も体験した。事件から2ヵ月近く経ってもなお煙がくすぶり、放水せねばならない現場。そこからは、飛行機の燃料のにおい、ビルが溶けるにおい、さまざまな化学的な異臭がゆらゆらと立ちのぼっている。
とにかくただことでない、大変なことが本当に起こったのだなと、痛感。気がつくと、口がぽっかり開いた状態で、事故現場を見つめていた。
不思議と涙は出なかった。ただ、あの中に夫を含め多数の尊い命が、もがきながら救いを求めていまもなお叫んでいるのかと思うと、思わず手をあわせていた。