事件や災害に巻き込まれ、愛する家族が行方不明になってしまう――そういうことが絶対ないとはだれにも言えない。探し続ける、信じ続ける、諦めない。しかしそうしたくても、生きていかなければならない。残された家族はいったいどうしたらいいのか……。

3歳と1歳の子供をかかえ、妊娠4カ月だった杉山晴美さんは、2001年9月11日に起きたアメリカ同時多発テロで、当時富士銀行員だった夫・陽一さんの勤務するワールド・トレード・センターに飛行機が突入するところをテレビの画面で見ることになってしまった。
それから20年、あの日を忘れてはいけないと、晴美さんの手記『天に昇った命、地に舞い降りた命』の再編集と書下ろしで20年のことをお伝えする連載4回目前編は、行方不明となった夫を探しにまわる中、切迫早産となって絶対安静を言いわたされたのち、テロからひと月ほど経ったころ行われた「追悼ミサ」と、まだ続くテロの恐怖についてお届けする。

2001年9月11日、信じられない光景が、現実のものとなった Photo by Getty Images
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銀行主催のメモリアルサービス開催

【10月9日】

10月9日の夜7時より、マンハッタンのセントパトリック大聖堂にて富士銀行主催のメモリアルサービスが行われ、わたしたちも参加した。

これは、事件のちょうど4週間目にあたる日に合わせ行われた、富士銀行主催、関係子会社をあわせ1500人ほどが参列した追悼ミサである。日本人の感覚だと、まだなにもわかっていないのにもう葬式めいたことをやるのか……という印象だろう。

ある意味、死を認めてしまうようで、参列はおろか名前を出すのもためらうという家族も多かったようだ。実際、日本からはどなたもみず、こちらに住む被害者の奥様方でも、半数はおみえにならなかった。

わたしも身体がこんな状態で、医師に相談してみても、「こうなると本人の意思にまかせるしかない」と言われ、銀行側にも当日の朝まで出欠の回答を待ってもらった。そして結局、当日身体もやや落ち着いてきたし、わたしとしてはもっと前向きな気持ちでぜひ参列したいと思い、長男太一を連れ、2人で行ってきた。

五番街にそびえたつマンハッタン一立派な教会で、式は礼拝形式で進行した。神父様が立会い、歌をうたい聖書の個所を何人かの社員が読み上げ……そんな礼拝形式で、後半では1人ずつ行方不明者の名前を呼びながら、キャンドルに火をともし、祈りをささげた。すべて英語による進行だったので、半分はよくわからなかった。

となりには、180センチくらいあるスキンヘッドの若い黒人男性が座っていた。彼は神父様の話の途中から、突然左手で顔をおおったままうずくまり、最後までうつむいて泣いていた。言葉が鮮明に心に届いていたら、わたしももっと身につまされた感覚になっていたのかもしれない。