疫神を悦ばせ、集め、封じ込める

ここ数年、私は日本各地の祭を見てきたが、祇園祭は別格である。なんとも優雅で上品なのだ。まずは練り歩く旦那衆の立ち居振る舞いが違う。呉服商が多かったこともあり、裃(かみしも)の着こなしや歩き方が美しい。笛や鳴り物を奏する囃子方(はやしかた)の少年たちさえも浴衣姿が様になっている。

鶏鉾見送りのテーマはトロイア戦争物語。撮影/秋尾沙戸子

最大の魅力は「山鉾風流(ふりゅう)」である。ここでの「風流」とは、人々をあっと驚かせる華やかな趣向をいう。

巡行する山鉾が纏っている胴掛は、ベルギー本国にも残っていない「トロイア戦争物語」や「旧約聖書」を織り込んだタペストリーだったり、中国段通やインドのムガル絨毯やトルコのセルジュク絨毯だったりして、海の交易やシルクロードを匂わすグローバルなものも多い。いずれも豪商たちが買い集めたものばかり。それらがなぜ日本に、そして京都に渡ってきたのか謎は多いが、中世以降、現在まで京都にあるいのは、財を成した豪商たちが「風流」を競いあった結果であることは確かだ。豪商たちの競争心が人々の美意識を高め、祇園祭をますます洗練された祭へと押し上げていった。

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各々の町がテーマに合った御神体もしくは御神体人形を祀り、巡行当日の朝、山や鉾に遷して町を巡行する。御神体は、天神や観音、瀬織津姫(せおりつひめ、大祓詞に登場する罪穢れを海へ流す女神)、ご神体人形は聖徳太子や神功皇后、あるいは中国故事やお能の主人公たちである。謡曲「橋弁慶」をテーマとする「橋弁慶山」では、牛若丸と弁慶の人形が闘う姿を山に載せて巡行する。こうした謡曲をモチーフにした山は、古より疫神を悦ばせるために捧げた、歌舞芸能の名残との見方もある。

写真左・17日の巡行は烏丸四条交差点から出発。空をつきぬけるほどの真木の先は長刀。 写真右・稚児は、ビル2階の高さにある櫓(やぐら)から身を乗り出して疫病退散の舞を舞う。撮影/秋尾沙戸子

鉾には、ビルの6階くらいまで天高く伸びる真木の途中に榊がつけられ、山には、御神体人形とともに松などが乗っている。先人たちはそうした山鉾が疫神の依り代となると信じ、昔は集めた疫神を鴨川に流していたという。現在は、巡行後すぐに解体することで疫神を封じ込めると解釈している。

疫病退散の仕掛けはそればかりではない。たとえば先頭を行く「長刀鉾」は真木の先にキラリと光る長刀がついているが、櫓(やぐら)の中には稚児(ちご、毎年選ばれる7歳くらいの男子)が乗っている。稚児は両脇に禿(かむろ)と呼ばれる少年たちを従え、お囃子に合わせて身を乗り出して疫病退散の舞を舞う。また、「長刀鉾」大屋根の下にいる2つの小さな人形も、疫病退散の雅楽「厭舞(えんぶ)」を舞っている。

17日、そうして22基の山鉾が巡ったあと、いよいよ神輿の出番。神々を乗せた神輿が鴨川を越えて、氏子地域を渡るのである。