死後の世界は近くにある… 津波の犠牲者に「憑依」された女性の体験

カオスのような「死後の世界」
奥野 修司 プロフィール

若い男の霊が憑依

金田住職が、野太い声で叫ぶ男に向かって、「あなたは誰ですか!」と尋ねた。

彼女は、暗闇の中を浮遊しながら状況を眺めていたが、見えているのは「ワカナ!」と叫ぶ男だけで、金田住職の姿は見えていない。ただ男の声も住職の声も聞こえていた。おそらく男も同じように金田住職の姿は見えないが、自分に尋ねられていることはわかっているので、声は聞こえたはずだという。

 

前出の下半身がない兵隊も、金田住職の問いに対して「あなたは誰ですか」と尋ね返したのは、姿が見えていなかったからだと彼女は言う。

「お前こそ誰だ! ここはどこだ?」と男が問い返した。

まさしく即興の物語のスタートである。

「ここは栗原市の寺だ。私はそこの住職だ」

「なんで俺は寺にいるんだ。あん? 住職だと? なんで俺の前に坊主がいるんだ。ワカナはどうした?」

「ワカナとは誰なんだ? あなたはどこにいるんだ?」

「ワカナは俺の娘だ。俺がどこにいるかって……」

男はあたりを見回す。真っ暗で寒く、自分の身体がびしょ濡れになっていることに初めて気づいたようだった。

「ここはどこだ……、何も見えない。暗い……」

「地震が起きたことはわかってるな?」と金田住職は確かめるように言う。

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津波で死んだことがわからない霊

男ははっと気づいたように声を荒らげた。

「そうだ! 地震が来て、妻から『ワカナを迎えに行けない。渋滞にはまった』とメールが来たんだ。その時、防災無線で津波が来るって放送があったのを覚えている。だから、だから俺は慌ててワカナを迎えに海沿いの道を車で走っていたんだ。ああ、娘のいる学校へ迎えに行くところだったんだ。俺を迎えに行かせろ!」

金田住職は「それは無理だ」と静かに言った。

「なんでだ! 行かせろ!」

「その地震も津波も、もう1年前のことだからだ」

「え⁉ いちねん、前……」

下半身のない兵隊と違い、彼は自分が死んだことを知らなかった。地震も津波も1年前の出来事だということを、この時初めて知ったのだ。

金田住職の言葉に、男が膝からくずおれるようにへたり込むのを彼女は見た。しかし彼女は、口の中に入った泥や砂利を吐き出したくってもがいていた。耳や目にも泥が入っていて、体は凍りそうなほど寒かった。初めて体験する溺死は衝撃的で、意識はあったものの、立っていられなかったという。

金田住職らは、彼女がいきなり畳の上に倒れたので心配そうに見守っていた。

「本人は津波から1年経っていることを知らなかったのですか?」

「だから溺死からスタートなのです。下半身がない兵隊さんの場合は、自分の死を納得していましたが、心残りがありすぎたので、やはり死ぬところからスタートしたんですね。この男性は、そもそも自分が死んだのを知らないから、死を受け入れていません。それが1年も経っていることにようやく気づき、急に現実が襲ってきたみたいです」

娘のワカナは小学生だった。男は若かったような気がすると彼女は言う。体格が良くて強面で、ちょっとやんちゃな雰囲気があり、まだ二十歳になるかならないかの若い時分に結婚した印象だったそうだ。

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