死者に「憑依」された女性が、古刹の住職に「除霊」してもらうまで

霊が見えるのが「普通」の生活だった
奥野 修司 プロフィール

そばにいつも霊がいるのが「普通の生活」

 これは高校時代ですが、部活が終わって帰りが遅くなった日でした。もう暗くなっていましたね。靴に履き替えようと思って下駄箱に近づくと、幼稚園に入る前ぐらいのスカートをはいた女の子が、下駄箱の向こうからいきなりあらわれたのです。長い髪の毛を揺らして、わたしの横を通り過ぎました。ペタペタとコンクリートの床を走る音が聞こえましたから、裸足だったのでしょう。こんな時間に保護者の呼び出しでもあったのかと思い、あたりを見回したのですが誰もいません。あんな小さな子が1人で遊んでいるなんて危ないと思い、すぐ追っかけました。すると階段を上がっていくのが見えたのに、今度は足音がしない。その瞬間、これは追っかけちゃ駄目なんだと気づきました。

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 当時は生きている人か死んでいる人か、見分けられませんでした。今では死者と生者の違いははっきりわかります。どこが違うのかと言われても説明が難しいのですが、勘というか、空気を読むような感覚でわかるとしか言い様がありません……。

 

 レンタルビデオ店などに行ったりすると、すれ違った人が連れていた霊を、わたしが拾ってしまうこともよくありました。もっとも霊を拾ったところで、わたしに何か影響を及ぼすことはなかったし、あの頃は我流ながらコントロールもできていたので、自分にとってそれほどリスキーなことではなかったのです。そばにいつも誰かの霊がいるというのが、当時のわたしには普通の生活でした

 学校生活も普通、家庭環境も普通でした。

霊との付き合い方

 霊が見えるというので、霊視してほしいと頼まれたことがあります。どんな霊視だったか忘れましたが、そのあとで生霊を「除霊」したこともありました。「除霊」といっても、にらみ合いをして、その人に憑いた霊を引き離すのが精一杯でした。もっとも、「除霊」ではあの人たちがあまりにもかわいそうだから、自宅に連れて帰って共同生活しながら、時間をかけて浄化(浄霊)するようなこともしていました。

 当時のわたしが大事にしていたのは、今日は日が悪いから学校に行きたくないとか、この時間帯に歩くと良くないから30分ほど時間をずらそうとか、そういうことの方がわたしにとっては重要でした。「日が悪い」と言うと、なんとなく気乗りがしない日と思われがちですが、日が悪いと感じたのに何も対策をとらず、予定通りに行動すると必ず凶事に見舞われました。場合によっては、それは死につながりかねないことでした。「日が悪い」と感じ取るのは、わたしにとってネガティブな出来事を回避するためだったんです。

 避けられない日もあります。そういう時は万全の備えで出かけます。絶対に駄目な日というのもありますが、そういう時は学校もさぼりました。

 わたしの周りにいた亡くなった方の霊は、別に悪さをするわけではないので、普通に共同生活をしていましたね。こんなこともありました。

 妹が霊を連れて帰ってしまい、妹の部屋に居座ったことがあるのです。とにかく部屋から出さないといけないと思い、そこから出て行かないと絶対に許さないみたいな気迫で移動させたのですが、わたしのような未熟な者がやると、少しずつしか動かないんです。超スローモーションの映画を見ているみたいで、もう一押し、もう一押しとやっているうちに、なんとわたしの部屋に来てしまったのです。仕方がないから、そのまま共同生活をしていたこともありましたね。

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