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平安時代の日本人は「超新星爆発」を見上げていた!

『明月記』に記された“客星”の正体とは!

京都・相国寺に、その墓はある

京都駅から地下鉄で北上し、今出川駅で降りるとそこは、東西に走る今出川通と南北に走る烏丸通が交わる、烏丸今出川の交差点である。かつての天皇の住まいである京都御所の北西端にあたる。御所の北側には同志社大学があり、そこはかつて、幕末までは薩摩藩邸があった場所だ。

御所の塀の道沿いに残る石垣と空堀が風情を添え、薩長同盟や新島襄など、近年の大河ドラマにたびたび登場してきた場所でもある。都の東北、百万遍にある京都大学のキャンパスからは、今出川通をまっすぐ西に来たところとなる。筆者が京大に在籍していた時代、出町柳の自宅からよくこのあたりまでCDやDVDを借りにきたものだ。暗がりで自転車をこいでいると、危うく空堀に落ちそうになったこともある。最近、京大に出張した際には、その空堀にも今では安全のために柵が設けられ、レンタルビデオ店も時代の流れに押し流されたのか、なくなっていた。

相国寺(Photo by 663highland)CC BY-SA 4.0拡大画像表示

さて、その同志社大のキャンパスの北側に、相国寺という寺がある。臨済宗相国寺派の大本山であり、京都五山の第二位という由緒ある大伽藍である。この境内の墓地に、歴史上の著名人の墓石が三つ並び、今出川通の喧噪から離れて静かにたたずんでいる。その三人とは、銀閣寺で有名な室町幕府第八代将軍・足利義政、江戸期の絵師・伊藤若冲、そして本章の主題である超新星に関連する、平安時代末期の公家であり歌人である藤原定家である。時代も身分もまったく異なるこの三人の墓が並んでいるのも、何やら不思議な感じである。そもそも、相国寺を建てたのは義政の祖父に当たる第三代将軍・義満であり、定家の時代には相国寺はなかった。

超新星爆発の解明に貢献した平安人

ともあれ、その定家である。一般的には歌人、とくに百人一首の撰者として名高い。だが我々天文学者にとっては、超新星という極めて重要な天体現象の解明において、時空を超えて世界史的な貢献をなした人物として強い印象を与えている。定家の書き残したものが超新星の研究に貢献をしたのは、その死後、実に一千年近くが過ぎてからであった。

藤原定家
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