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安倍晋三一族が下関で築きあげた日韓地下水脈、そのルーツとは

この国を覆う憎悪と嘲笑の濁流の正体5
「匿名の悪意」の被害はもう止められないのか?
ネットに吹き荒れる誹謗中傷、国民を見殺しにする政府や権力者、強気を助け弱気を挫くメディアの病巣、日本の歪な現実の病巣を、いまもっとも硬派な論客、青木理氏(ジャーナリスト)と安田浩一氏(ノンフィクションライター)が語り尽くした+α新書『この国を覆う憎悪と嘲笑の濁流の正体』から、短期集中連載!

安倍晋三一族と在日コリアンの濃密な関係

青木 かつての日韓保守政界の親密な関係という意味では、安倍晋三の選挙地盤である下関の風景も象徴的でしょう。僕は現地で取材して『安倍三代』にも書きましたが、山口県下関市にある安倍の邸宅や事務所は、もともとパチンコ店を営んでいた在日コリアン実業家の土地だったんですね

下関で有権者に呼びかける安倍晋三氏(左)と昭恵夫人 Photo by GettyImages

もちろん安倍晋三が手に入れたものではありません。彼にそんな才覚も懐の深さもあるはずがなく、父である安倍晋太郎が地元で在日実業家の熱心な支援を受けていたからです。その実業家はのちに帰化し、すでに亡くなっていますが。

せっかくなので安倍家のルーツを簡単におさらいすると、晋三の父方の祖父に当たる安倍寛が政治家として最初に国政進出を果たし、1937年の総選挙で衆議院議員に初当選しました。安倍家は日本海に面した小さな漁村で代々醸造業を営んでいましたが、安倍寛は村長などを務めて地元の人びとの厚い信頼と支持を集めていたようです。

そうした支援を背に国政進出した安倍寛はじつに立派な政治家でした。軍部が圧倒的な力を持っていた時代に軍部の暴走や富の偏在を批判し、1942年のいわゆる翼賛選挙では大政翼賛会の推薦を受けずに当選を勝ち取っている。まさに反戦・反骨の政治家です。安倍晋三に爪の垢でも煎じて飲ませたいぐらいですが、残念ながら安倍寛は病気がちで、終戦の翌1946年に51歳の若さで亡くなってしまう。

その安倍寛の一粒だねである晋太郎が岸信介の娘・洋子と結婚し、毎日新聞の政治部記者を経て後継になるわけですが、晋太郎も決して左右に傾かないバランス型の政治家でした。また、下関は古くから日本と朝鮮半島との交流の要衝になってきた港町ですからね。現在も釜山と行き来する関釜フェリーが就航していますが、地元には在日コリアンもたくさん暮らしているわけです。

そして安田さんが一部指摘されたように、冷戦体制下では日本の保守政界と韓国の軍事政権が反共と利権を結節点に深く広く結びついていました。したがって韓国系の在日実業家が晋太郎を支援するのはとくに不思議でもなく、下関では邸宅や事務所用の土地の提供までを受けていた。

このうち下関の高台にある邸宅の敷地は晋太郎時代に登記が移され、現在は晋三名義になっています。

 

これには事情があって、かつて「パチンコ疑惑」が右派メディアのキャンペーン報道で政治問題化しましたよね。主に社会党議員らがパチンコ業界と癒着しているという点が批判の的になったイデオロギー色の強いキャンペーンでしたが、「疑惑」は当時の自民党幹部だった晋太郎にも飛び火した。下関の邸宅などの土地は在日実業家から格安で提供されているではないかとメディアに指摘され、邸宅の所有権は間もなく晋太郎に移されたんです。

しかし、事務所の敷地は現在も在日実業家が立ちあげた会社が所有者になっているはずですよ。

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