2021.07.11
# 英語

日本人が英語を「話せる」ようにならない「本当の理由」

海外育ちの僕が気づいた「恥」の罠
中川 諒 プロフィール

視点が変わると恥の基準も変わる

日本人はShy(恥ずかしがり屋)であるとよく言われる。それは、「周りと違う」ということに慣れていないからではないだろうか。

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島国の日本と違って、ドイツにしてもエジプトにしても陸続きで、歴史的にもたくさんの移民がいる。つまり、「違う」ことが当たり前の世界なのだ。「周りと大体同じ」世界で育ったわたしたち日本人の多くは、自分が周りと「違う」という状況にめっぽう弱い。

僕は父親の仕事の都合で、3歳から6歳までをエジプトのインターナショナルスクールで過ごした。人種はバラバラだったが、地中海の向こう側にはヨーロッパが広がっているという地理的な理由から学校にもヨーロッパ系の生徒が多く、クラスでアジア人は僕一人だった。最初は英語も話せず、クラスにも馴染めなかった。

当時印象的だったのは、昼食のお弁当だ。他のクラスの皆が家から持ってきたサンドイッチをかじっているなか、僕だけ母のにぎったおにぎりを食べていると、おにぎりの具材の昆布を皆から「イモ虫」と言われ、茶化されたのだ。

僕は家に帰って、母に泣いて頼み込み、次の日から皆と同じピーナッツサンドイッチを持っていくようになった。このとき僕にとって、皆と「違う」ことは恥ずかしいことだったのだ。

 

25年後、僕は日本の広告代理店からシドニーとシンガポールのGoogleのクリエイティブチームに出向して、短期間仕事をする機会をもらった。言語も文化も商習慣も異なる場所で仕事をして気づいたのは、周りの人と違うということは「恥ずかしいこと」ではなく、大きな「価値」だということだった。

違う経験や言語、文化を持っているだけで他の人に新鮮な視点を提供することができる。恥の原因になっていた「違い」は、むしろ「武器」になっていた。視点が変わると、自分の恥の基準は簡単に変わる。これは意識的に視点を変えることで、自分の恥への向き合い方も変えられるのではと思ったきっかけになった。

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