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# 英語

日本人が英語を「話せる」ようにならない「本当の理由」

海外育ちの僕が気づいた「恥」の罠
「Do you speak English?」……こう聞かれたとき、私たちの多くは「No」、よくても「a little」と答えるだろう。外国人の多くが「I can speak Japanese!」と自慢気に言うのとは対照的に。
なぜ日本人はできないところに目が向き、「恥」を感じやすいのか? 初の著書『いくつになっても恥をかける人になる』を発表したコピーライターで、幼少をエジプトとドイツで過ごし、オーストラリアやシンガポールのグーグルで働いていた経験のある中川諒氏が、日本と海外の「恥」の違いについて語る。

「恥の原因」は2つある

「Do you speak English?(英語は話せますか?)」

このように外国から来た人に聞かれて、日本のほとんどの人たちは、「No」、よくても「a little(少しだけ)」と答えるだろう。

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それに対して、旅先で出会った外国の人は、こちらが「Do you speak Japanese?」と聞く前に、「I can speak Japanese! Sushi!!(日本語話せるよ! ほら寿司だって知ってるぜ)」と元気よく言ってくる。

ここには言語を扱う「能力」以上に、言語と向き合う「姿勢」の違いが現れている。わたしたち日本人は、できないかもしれないことを「できる」と言うことに恥を感じやすい。

自らの「恥」と一言で言っても、恥にはその原因によって2種類存在すると僕は考えている。

ひとつめが「他人からこう見られたいという理想の自分」と今の自分のギャップが生む「外的恥」。周りに馬鹿だと思われるのではと、会議で質問できない。目立とうとしていると思われるのではと、セミナーでつい後ろのほうに座ってしまう。わたしたちが恥と聞いて思いつくシチュエーションの多くは、こちらに分類される。

そしてふたつめが「自分自身がこうありたいという美学」と今の自分のギャップが生む「内的恥」である。自分なりの「こうあるべき」という思い込みから外れるときに恥を感じてしまうのだ。仕事のプロフェッショナルとしてこのような美学を持つことは、仕事の品質を保つうえで重要だが、結果としてその「思い込み」が自分のキャリアを狭めてしまうことも少なくない。

実際、英語には2つの「恥ずかしい」が存在する。それが”embarrassed”と”ashamed”である。「外から中へ」を表す接頭語(em-)がつく”embarrassed”には「他人から見て自分が恥ずかしいと思う気持ち」というニュアンスが含まれている。

 

対して”ashamed”は「自分で自分を恥ずかしいと思う気持ち」で、これはキリスト教の神の存在を前提とした、自らの罪を恥じる気持ちから来ている。日本語だと「罪悪感」に近い感情だ。

戦時中の日本人の調査研究を元に1946年にアメリカで出版された『菊と刀』で、欧米は「罪の文化」、日本は「恥の文化」と書かれている。この文化の違いは、恥の原因が「内的な自分の美学」にあるか、「神を前提とした罪の意識」にあるかによって生まれているのではないだろうか。

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