航空機がビルに突入する――そんな信じられないことが現実になったのが、2001年9月11日に起きたアメリカ同時多発テロ。NYにあるワールドトレードセンターのノースタワーに8時46分、そして隣のサウスタワーに9時3分、ハイジャックされた航空機が突入した。多くの方が犠牲になり、今もなお、悲しみが癒えない事件から今年で20年になる。

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杉山晴美さんの夫の陽一さんは、当時の富士銀行のニューヨーク支店に勤務していた。ニュージャージーに暮らす晴美さんは、9月11日の朝、テレビの画面で夫がいるはずのビルに航空機が突入し、崩落するのを目の当たりにしてしまう。さらに、多くの富士銀行員が無事と言われた中、夫は行方不明者としてニュースで名を呼ばれたことにも衝撃を受けた。

この悲しい事件を決して忘れてはならない。その思いから、犠牲者のひとり・杉山陽一さんの妻である晴美さんが当時出した著書『天に昇った命、地に舞い降りた命』の再編成と書きおろしで、この20年を振り返る連載第2回。行方不明となった夫を、仲間たちと捜索に行き、現実を見聞きしていく様子をお伝えする。

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夫を探してマンハッタンへ

【9月12日】
富士銀行から「行方不明者の夫人も病院まわりに参加してはどうか」と誘いをうけた。子供たちを保育園に預け、ハドソン川を渡ってみることにした。

力斗はそれまで保育園通いをしていなかったのだが、事情を説明すると保育園の先生たちはこころよく預かってくれた。別れぎわに泣いてわたしのあとを追ってきた力斗と不安げな太一に、「おかあさんは、必ずぶーちゃをみつけてくるからね」と声をかけ、会社の迎えの車に乗りこんだ。

ニュージャージー側からはわたしの他にも二人ほど同じ車に乗り、まずはフェリー乗り場へと向かった。郊外とマンハッタンをつなぐ橋もトンネルもみな封鎖されていた。この日川を渡す手段はフェリーしかなかったのである。

車中、とんだことになったとおたがいの今の状況を話し合っていた。そのうちの一人の夫人は、しきりに携帯電話で誰かと連絡をとりあっていた。あらゆる情報網を駆使し、独自に夫探しをしているその姿に頭がさがる思いがした。元来わたしには情報収集力がかけている。会社が提供してくれる情報だけに頼るしかすべがない自分が情けなかった。

ニュージャージーとマンハッタンは通常は電車でも車でもつながっている。しかしテロにより交通手段はすべて封鎖されていた Photo by Getty Images

「大きなバッグ」の理由

もう一人の夫人は、大きなバッグパックを持ってきていた。わたし同様、3歳の子どもと7ヵ月の赤ちゃんがいたが、今日は子供はつれていない。

どうしてそんなに大きな荷物を持っているのだろう? わたしなどは、妊娠中の身体に負担なく病院まわりができるよう、小さなバッグをひとつ背中に背負っているだけだった。あった瞬間からその大きなかばんが気になっていたが、フェリーに乗り込むタイミングで、「どうしてそんなに荷物が多いの? なにが入っているの?」と聞いてみた。

返ってきた答えに、胸が熱くなった。

彼女は、もし病院でご主人に会えたら、まずは着替えさせてあげようと洋服一式と、そして病院では満足な食べ物がないだろうからと、何種類もの菓子パンの詰め合わせをかばんに詰めこんでいたのだ。

夫人たちはみな必死なのだ。夫の生存を信じ、自分のできるかぎりの力でいまも夫に尽くしている。どうかどうか、みんな無事でいてほしい。誰一人として逝ってはいけない。フェリー乗り場からは、事故現場から立ちのぼる黒い粉塵が見えた。その粉塵に向かって、わたしはあらためて願いをつぶやいた。

フェリーに乗って川を渡る、というとなんだか旅でもするように聞こえるかもしれないが、乗船時間はたったの5分。まさに渡し舟。「平穏な郊外」と「現場」であるマンハッタンとの距離はその実とても近いのである。それでも、フェリーを降りマンハッタンに足を踏み入れる瞬間は、緊張が走った。

今までテレビ画面の中だけにあったもの。わたしの心の中にあった信じたくない部分。信じられない光景。ついに自分の目で確かめることになったのである。