李香蘭のコンサート(1939年)

戦時下の検閲を支えたのは「市民の声」だった?当局を動かす投書の力

なぜ人々は大衆娯楽を恐れたのか
戦前戦時期には、内務省や警視庁によって、文化芸術に対する検閲が広く行われていました。「無理解な当局による一方的な弾圧」と思われがちな検閲ですが、実は、市民からの投書が大きな役割を果たしていたといいます。その内容とは? 前回に続いて、日本近現代史研究者・金子龍司氏が解説します。

市民が警戒した子供への悪影響

娯楽をめぐる投書の特徴としては、子供の教育上の悪影響が繰り返し懸念されていたことがあげられる。とりわけ流行歌や芸人の一発芸を子供が真似ることが盛んに問題視されていた。

この背景には、子供が真似すると本当にそうなってしまう(たとえば、ドタバタ喜劇の滑ったり転んだりを真似していると、本当に喜劇役者が演じるような下らない人間になってしまう)、という危機感があった。

これを実例に即しつつ示すと、たとえば先述の渡辺はま子『忘れちやいやヨ』等の流行歌については、次のような投書が新聞に掲載された。

「あなたあ! なんだい」「覗いちやあ嫌よ」「忘れないでネ」等等変な小唄歌詞がまたぞろ流行してきた、このごろ四つ五つの子供がさかんに「あなたと呼べば」と唄つてゐるのを聞くが目や口から入る害毒のほかに耳から飛びこみ童心を蝕むパチルスの恐ろしさも想像できる、若き国民の指導のため学童の歌ふのを禁止させるとゝもに一時も早くかゝる浮薄な小唄を街頭から追つ払ふやう府保安課で厳重取締つてほしい(「大阪弁」(『大阪朝日新聞』、1936年6月13日朝刊一三面))

また、これを受けて当局が『忘れちやいやヨ』に措置を下したのちも、なお次のような投書が寄せられた。

わたしはむしろその禁止の遅きを怨む、そのレコードは売り出されて二ヶ月、すでに 幾万枚も日本全国にバラ捲かれてゐて一通り流行してしまつた後ではないか。こんな小唄はレコード会社が発売する前に検閲禁止すべきで、当局のもつとスピーディな処置を「忘れちやいやよ」といひたくなる(「大阪弁」(『大阪朝日新聞』、1936年6月30日朝刊一七面))

当局による取締は、このような投書に支えられ、叱咤されていた。

日劇七回り半事件への批判

しかも上の実例からもわかるとおり、投書は検閲当局を批判するツールにもなっていた。

一例として、日中戦争下の1941年の2月11日(紀元節)、人気女優李香蘭が日劇に出演した際、ファンが日劇を幾重にも取巻き、銃後の不祥事として大問題となった日劇七回り半事件に対する反響があげられる。

当時李香蘭は、中国語・日本語を操りエキゾチックな容姿を湛え、映画主題歌までこなす国籍不明の女優だった。この前年までに、映画『白蘭の歌』『熱砂の誓』『支那の夜』で東宝の看板俳優長谷川一夫と共演を果たし、人気絶頂の最中にあった。

李香蘭

新聞報道によれば、この事件の反響として「当局の取締強化を要望する市民の声が数百通の投書となつて警視庁を始め丸の内署に殺到」したほか(「情ない東京市民 帰還兵士の痛憤 観衆の狂態に投書山積」(『中外商業新報』、1941年2月18日夕刊二面))、朝日新聞にも投書が「一日七、八十通」寄せられ、中には「為政者に反省を求めるもの」があったという(「娯楽の反省」(『朝日新聞』、1941年2月18日夕刊三面))。

実際に紙面に掲載されたものにも、「現実に対する心構へが、いまだ民衆のものになつてゐない」ので、「為政者は一段と現時局の重大性を、青年の脳裏に浸潤せしめる途を採らせねばならない」、と訴えるものがあった(「鉄箒」(『朝日新聞』、1941年2月16日夕刊一面))。

当局は、こうした投書によって批判の的となり社会問題化した作品や歌手、あるいは俳優を重点的に取り締まった。重要なのは、一般市民層のうちでも、自らの問題意識の高さを誇示するような、好んで投書をするような人たちの声が当局により大きく響いていた点である。戦前期の検閲にはこうした「民主的」な側面が存在していた。

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