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J-POPならぬ「J哲学」!日本哲学の最前線がここに

今をときめく哲学者の思想を読み解く
「J哲学」と呼ばれる哲学ジャンルをご存知だろうか?「日本的な」ものにはこだわらないながらも、日本の哲学者の手で生み出される哲学思想を、J-POPにならって「J哲学」と呼ぶ。現代新書の最新刊『日本哲学の最前線』より、哲学者の山口尚さんが「J哲学」の現在地を概説した「はじめに」を特別にお届けする。

J哲学とは何か

この本は「J哲学」という日本哲学の最前線を紹介する。

J哲学とは何か。それは——とっかかりの要点を言えば——音楽におけるJ‒POPの哲学での対応物である。音楽界において世界と伍するJ‒POPがあるように、哲学界には同じく世界と伍するJ哲学がある。JapanのPhilosophy を略して「J哲学」と呼ぶ、ということだ。本書は《J哲学でどのような思索が展開しているのか》にかんする最新の情報を読者へコンパクトに伝えることを目指す。

具体的には本書は、日本哲学の最前線たるJ哲学の六人の旗手、すなわち國分功一郎・青山拓央・千葉雅也・伊藤亜紗・古田徹也・苫野一徳のそれぞれの思想を紹介する。この点で本書は、日本哲学の最も新しい展開を追うための入門的著作でもある。
とはいえ本書は、いま挙げた六人の哲学者の各々の独創性を説明することに加えて、《最新の日本哲学が全体として何に取り組んでいるのか》も論じる。

じつに——本書全体を通して明らかになるように——J哲学の旗手たちの思索には人間の「不自由」へ目を向けるという共通の視座がある。すなわち、単純に「自由」を希求するのではなく、人間の避けがたい不自由を直視したうえで可能な自由を模索するのである。

J哲学の2010年代は「不自由論」の季節であった。ただしその議論は、人間の不自由を強調してばかりの悲観的露悪ではなく、真に自由であるために不自由を無視しないという〈自由のための不自由論〉である。

ここ10年ほどの日本哲学のクリエイティブなシーンを〈自由のための不自由論〉として理解する——これもまた本書の目標のひとつである。

「はじめに」の残りの箇所では、いま述べたことをもう少し踏み込んで説明しよう。

 

J-POPとJ哲学

以下まず《J哲学とは何か》をもう少し詳しく説明し、そのうえでJ哲学のこれまでを語りたい。それによって本書を読み進めるさいのバックグラウンドが形成されるだろう。

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「J哲学」はウィトゲンシュタイン研究で有名な鬼界彰夫が使い始めた概念である。それはJ‒POPのアナロジーであり、哲学におけるJ‒POPの類比物だ。ではJ‒POPとはどのようなものか。

何を措いても押さえるべきは、J‒POPは——「J」のイニシャルを冠しているが——必ずしも「日本的な」ものにこだわらない、という点である。むしろJ‒POPの担い手たちは世界に通用するポピュラーミュージックという普遍的なものに取り組んでいる。

例えばサザンオールスターズは数十年来のJ‒POPの旗振り役だが、このバンドは《日本的なものを歌に取り入れるぞ!》などと意図しない。このようにJ‒POPは、〈和風のポピュラーミュージックを実践する〉という営みではなく、〈普遍的なポピュラーミュージックへたまたま私たちの言語である日本語で取り組む〉という営みである。

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