2021.07.09
# 日本語

「ら抜き言葉」が進行した「れ足す言葉」が、明らかに「誤用」だと断言できる理由

これらは「合理的な言語変化」ではない

「れ足す言葉」を知っていますか?

現代日本語の〈誤用表現〉として広く知られているのは、「見れる・来れる・食べれる」などの例で知られる「ら抜き言葉」でしょう。「見れる・来れる・食べれる」は、現時点で話し言葉としてはかなり定着してしまった感がありますが、一般には、書き言葉での「ら抜き言葉」は〈誤用表現〉とされています。

なお、ここでいう〈誤用表現〉とは、共通語の規範的な運用から逸脱した言語表現のことをいいます。規範的な共通語は、東京語を基盤として成立していますが、歴史的にみれば、東京語は、かつての後期江戸語において主に教養のある人たちが用いていた言葉遣いの流れをくんでいます。

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東京語以外の日本方言の中に「ら抜き言葉」と同様の表現がありますが、それを方言として使用することには何の問題もなく、むしろ、方言は守るべき日本語です。ですから、方言使用と規範的な共通語の〈誤用表現〉とを混同して議論すべきではありません。

そして、「ら抜き言葉」がさらに進行した「れ足す言葉」をご存じでしょうか。「れ足す言葉」は、「ら抜き言葉」ほどの知名度はありませんが、〈誤用表現〉のひとつです。

「れ足す言葉」の例を挙げると、「行けれる・読めれる・書けれる・飛べれる」などという言い方です。

「行く・読む・書く・飛ぶ」などの動詞を五段活用動詞といいますが、それを「行ける・読める・書ける・飛べる」のように下一段活用動詞に変えた動詞のことを「可能動詞」といいます。

「可能動詞」は、その名のとおり、動詞自体に「〜することができる」という意味があるのですが、「れ足す言葉」は、この可能動詞に、さらに可能の意味を表す助動詞の「れる」をつけた表現です。従って、「れ足す言葉」の「行けれる」は、「行くことができることができる」という過剰な可能の意味になります。

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