2021.07.12
# 本

大ブレイクで環境激変…中村倫也が「自分で自分を受け入れる」まで

そして、人間とは一体何か

中村倫也さんのエッセイ集『やんごとなき雑談』が売れている。大ブレイクの期間中に執筆したエッセイには、その変化がありありと描かれている。取り巻く環境が変わる中、「自分が自分であることに慣れてきた」と中村さんは言う。その真意とは?

(前編「中村倫也が語る『エンターテインメントの一番目指すべきところ』」はこちら)

 

自分が自分であることに慣れた

――自分で読み返すととくにグッとくる章はありますか?

『スラムダンク』を読むと毎回泣いちゃうじゃないですか。それと同じように、何回読んでも自分でグッときてしまうのは、「注ぐ」の章ですね。家族の話なんですけど。

流星群を見たことがある。
小学校六年の冬、真夜中に父に起こされ、寝ぼけながら車に揺られること数時間。伊豆半島のどこかの防波堤で寝袋につかまり、白い息で手を温めながら降り注ぐ星たちを見た。広い夜空の至る所で、現れては流れ、光っては跡を残し、一方向に泳いでいく群れ。打ち上げ花火を近くで見た時みたいに、破片のひとつが近くに落ちてくるんじゃないかと想像して怖くなった。
(『やんごとなき雑談』p54「注ぐ」)

――あの話、風景やエピソードの書き方が小説のようで、とても美しかったです。

あとは、「理由」の章が思い出深いです。読み返すと、自分に対して「ああ、よかったね」って感じる。

実は、病んでいた時期に書いた「呼吸」の、アンサーソング的な文章が「理由」なんです。その間にほぼ1年弱経っていたのですが……読み比べると変化が分かると思います。「理由」は、大人になったね、って自分でも思う。

「呼吸」も「理由」も、どちらも同じ構成なんです。でも、書き方が違う。1年間で、自分自身への整理がついたから。「理由」が書けたとき、ああ自分は自分であることに慣れてきたんだな、って思えたんです。

――「自分が自分であることに慣れた」とは?

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